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崩壊した義務教育〜なんで勉強しろって言われるの?〜

日本国民の3大義務を覚えていますか?
多分、学校に行っていれば中学生の時に習っているはず。(笑)

ちなみに、僕はすぐに出てきませんでした。。。

教育義務 
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
勤労義務
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
納税義務 
国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

今日は、この中の「教育」をテーマに書きたいと思います。

以前、友人と義務教育を現代版にアップデートするなら?というテーマで話したときの資料をたまたま見つけたのがきっかけです。

ここで一度、小学校の時にタイムスリップして考えて欲しいです。

■なぜ勉強をしなければならないのか。

学生時代にそう思ったことはないですか?

幼い頃の僕たちは、
「なんで大人は勉強しろとしつこく言ってくるの」と一度や二度は疑問に思ったことがあると思います。

母が教育熱心な方だったので、
僕はほぼ毎日疑問に感じていました。

しかし、少し前に親の役割の一部だったのだ、と知りました。

【学校教育法第22条、第39条】
保護者は、子女を満6才から満12才まで小学校に、その修了後満15才まで中学校に就学させる義務を負う。

義務教育以後に言われた「勉強しろ」が親の愛情だということも。

僕の父と母は、まさに「バブル時代」。
沢山勉強することが成功に繋がりやすい時代でした。

この社会システムについて少し触れた以前のNOTEです。もしよかったら読んでください。
「親の言うことは聞くな。でも聞け。」

あぁ義務だから教育を受けなければならなかったのか。。。

納得したいけど、義務だから!と言われて納得できるほど、素直じゃないです(笑)

じゃあ、なんで義務になったのか。
こういう時のヒントって大体過去にありますよね。
#愚者は経験から学び 、賢者は過去から学ぶ

■義務教育の歴史

義務教育は約200年前、戦争に負けたドイツが、従順な兵士を育てることを目標としたプログラムが始まりです。

あらかじめ決められたカリキュラムを時間割で管理し、個人の習熟度を度外視して学年単位で教授する教育法はプロイセン・モデルとも言われています。

日本では、約100年前に軍事力と経済力を上げるために義務教育が取り入れられました。

ここで驚きなのが、約200年前に作られた教育システムと今の教育があんま変わってないやん。
ということ・・・

従順な兵士を育てることを目標にしたプログラム。
だから、決まっているカリキュラム個人の習熟度を度外視して教えているのだなと納得しました。

あれ、今って兵士を育てたいんだっけ?

この歴史を知った3年前に日本の教育システムに疑問を持ち、
徐々に教育について自分で調べるようになります。

■そもそも教育ってなんだっけ?

教育(education)
「EDUCATE」の語源はラテン語の「EDUCATUS」。
「E」は「外へ」を意味する接頭語で、「DUCERE」は「導く」で、「能力を導き出す、引き出す」という意味になる。
※語源英和辞典

調べてみると能力を引き出すことや、
能力を導き出すことみたいです。

よくイメージする知識や技術を新しく覚えるというものは、この語源的な教育ではないかもしれないです。

武器を持ってめちゃくちゃ強くなる、というよりかは、自分自身を強くする、みたいなイメージかなと・・・合ってるかな(笑)

義務教育のなかで僕が教育だと思っていたものは、
もしかしたら違っているかもしれない。

「幼い頃、直感的に感じた違和感は合っていたかも!」

そう感じた瞬間に自分の持っている能力(感性)を、
伸ばすことができる教育をスタンダードにしたいなと思いました。

■義務教育をアップデートするためには

まずは義務教育以外に教育の選択肢がある状態にする必要がある思います。

また、環境が合ってもその選択肢を知らなければ選ぶという行動には結びつきません。

最後に選択肢があり、知っていても義務教育と比べた時に、新しい選択肢が良いと思ってもらえなければ選んでもらえないです。

まとめると3つのステップが必要だと思います。

STEP1 義務教育以外に、学べる環境があること。
STEP2 その選択肢があることを知っていること。
STEP3 既存の義務教育と比較して選んでもらえること。

現在は義務教育以外にも新たな教育の選択肢が、
都市圏を中心に知られつつあります。

オルタナティブ教育を知っていますか?

これは「非伝統的な教育」や「教育選択肢」とも言い、主流または伝統とは異なる学習方法を意味しています。

有名なものでいうと・・・
マイクロソフト創業者のビルゲイツや、
Facebook創業者のマークザッカーバーグなどが受けていた「モンテッソーリ教育」・「シュタイナー教育」などがあります。

そんな中で新たな教育のカタチを僕なりに定義したいと思います。

■教育3.0

「全ての人が先生であり、生徒である。」

これ僕の理想とする教育の在り方です。

前章で書きましたが、教育とは「能力を引き出すこと」です。
能力とは何かを成し遂げることができる力。

つまり教育の本質とは・・・
何かを成し遂げることができる力を引き出すこと。

教育は何か成し遂げたいことがあって
初めて成立するものだと思います。

”何か”ってなに? 僕はそう思いました。

教育の1歩目はその”何か”を見つけるところから始まる。

でも、成し遂げたい何かを見つけることって
めちゃくちゃ難しいことですよね。

だから、はじめは純粋に惹かれることをやってみる。
これだけで良いと思います。

小さい頃は興味のあることに、
できるできない関わらず自然と体が動いていました。
僕もいとこの兄貴の真似をよくしていました。笑

「何か」って大きいことじゃなくて良いんだと思います。

父親がビールをおいそうに飲んでいたら、飲んでみたくなる。
お母さんがお化粧してたら、化粧をしてみたくなる。
お姉ちゃんがお洒落してたら、お洒落したくなる。
尊敬する先輩が仕事を楽しそうにしてたら、仕事を楽しいものだと思える。

知らないうちに周りにいる人の影響を受けているって、振り返ると多いなと思います。

当たり前ですが、自分より先に取り組んでいる人って、自分より経験や知識がありますよね。

その知識や経験を全ての人が発信するようになれば、
受信できる確率も上がると思います。
その発信の質が高ければ高いほど、
得られる経験や知識も大きくなると思います。

全ての人が自らの意見を発信できる世界。
1億総インフルエンサー計画。

その世界が実現できれば、
「全ての人が教師」になりえる。

国語・数学・英語・理科・社会を教えてくれる人だけが、教師ではないです。

知らないうちに周りの誰かのマネをしてみて、
いつの間にかそれができるようになっている。
周りのみんなよりできるから、褒められて嬉しい。
こんな経験が覚えていないだけできっとあるはずです。

極論、生きることが学ぶことなんだと思います。

だから、もっと多くの人が自信を持って何かを発信すれば、その行動をみてたどこかの誰かが勝手に学んで何かが起きる。

この現象を意図的に増やせたら面白そうだなと思っています。

だから、教育3.0は自分が発信すること
そう思って今日もNOTEを書いています。


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むらやましゅん
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