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私のミッションステートメント
3月2日で28歳を迎えました。
ありがたいことにお休みをいただいたので、自分と向き合う時間を作るために、鎌倉に一人旅をしてきました。
たくさん読み、たくさん書き留め、さまざまな感情に浸りました。
もし3年後に自分が死ぬとしたら、お葬式めどんな人だと言われたいか。
今まで自分は何を大事にして生きてきたのか、何を取りこぼしてきたのか。
そして、今後の自分の指針とすべき「ミッションステートメント」を考えることもできました。
実は、『7つの習慣』で自分自身に問いかけてみることを勧めていたので、誕生日に考えようと以前から計画をしていたことなんです。
誕生日の過ごし方として、とてもおすすめです😊
それでは、ミッションステートメントとそれまでのプロセスと記録します。
人生が厄介なのは「信じる」から
10代の頃は、28歳のお姉さんというと、ヒールをカチカチ鳴らして、電話を片手にテキパキ仕事をこなして、美意識が高くて、、、ととにかくキラキラしたイメージを抱いていました。
何かをすでに手にした人、何者かにすでになっている人、完成された人になっているはずだと、信じて期待していたのかも知れません。
ところが、何かを掴むどころか、他人と比較して自分の手中にあるものの価値を感じることができず失望し、何者かになるどころか、何者にもなれないのかも知れないという現実を受け入れようとしている。それが、28歳になった等身大の私です。
「信じる」ってとてもやっかいなことだと思いませんか?
実態のないものを頭の中で作り上げて、祭り上げて、「できるかも知れない」と希望を持たせる。そして、現実に抗わせる。現状維持でいいや、楽したらいいやと思いたくても、そうはさせてくれない。放棄したくても、許してくれない。
「藁をもすがる思いで」とはよく言ったものです。
溺れた時、藁を掴んでも浮くことはできません。
ただ、藁を掴めば浮くかも知れない、助かるかも知れないという希望が、必死に足をバタつかせ、水面に目線を向かわせる。結果、その人を生かすのです。
人を生かすのは「藁」ではなく、希望が、つまり「信じる」ことが人を生かすのではないでしょうか。
こうなると、「信じる」ことではなく「人生そのもの」がやっかいなことなのかも知れませんね。
でも、避けられないのなら、楽しむしかありません。
死ぬのでなければ、生きなければならない。
生きるのであれば、意味のある人生にしたい。
それも「意味のある人生にできるかも知れない」という希望から生まれた発想なのかも知れません。
藁とボートの端、どっちを掴む?
何を信じるかによって、どんな人生になるかが左右されます。
藁を掴んでもいいですが、できれば空気がパンパンに入ったチューブの方がいい。チューブよりボートの端を掴んだ方がいい。
「これでよかったんだ!」と思えるものを掴んだ方が、報われます。
『7つの習慣』でいう「原則」に基づいてつくられた目標を掴んだ方がいい。「原則」とは、人間が目指すべき指針、普遍的な真理を指していて、『7つの習慣』では、それはすでに各人の内側にあると述べています。
そして、近年話題のマインドフルネスや瞑想は、自分の内側からブレない軸を見つけるための方法論の一つです。
普遍的な「原則」が存在するのだという考え方も、その存在を「信じる」ことが土台になっています。
そして、私も普遍的な指針、真理はあると信じています。分かりやすいものでいうと、自分自身の良心です。良心こそブレブレなのではという意見もあると思いますが、善し悪しの判断軸が十人十色という現代において、むしろ外部の判断軸を頼りにすることの方が危険だと思うのです。
そして、自分の良心に従った理想を掲げて、自分を奮い立たせたい。
そんな想いで、私が掴みたいボートの輪郭(=不完全な理想)を描いてみました。
私のミッションステートメント
ミッション
人との違いを認め、愛し続ける。
誠実であり、探求することをやめない。
ミッションを果たすために
私は、ありのままの声に傾聴し、理解に徹する。
私は、違いに価値を見出す努力をする。
私は、自分の無知の可能性に対して、常に目を見張る。
私は、自分の人生の困難を乗り越える努力をし、他者をインスパイアする。
ミッションの達成するために次の役割を優先する
娘として、必要な時にいつでも支えとなり、愛情を示す。
妹として、常に兄の存在を尊重し、必要な時にいつでも支えとなる。
恋人として、健全な相互依存の関係を築くために対話をする。常に尊重し、愛情を示す。
友人として、常に選択を尊重し、必要な時にいつでも支えとなる。切磋琢磨し高め合う関係性を築く。変わらない居場所になる。
会社の社員として、業績を生み出す触媒となり、変化を恐れず挑戦する。常に課題を見つけて、考え行動をすることで信頼と動機を与える。
すべての原則は愛に通じる?
分かりやすい原則は良心だと述べましたが、誠実、勇気、節制なども原則に含まれるのでないでしょうか。
それらの根っこには、もしかして「愛」があるのでは?と思っています。
そして、愛の正体は「無条件に存在を受け入れること」だと考えています。
(これは暫定的なもので、今後私がする経験や身につける知識によって変わる可能性も十分あり得ます。)
そして、「愛が大きくなる」とは「無条件に抱擁するキャパ」が大きくなるということを指していると考えています。
無条件に受け入れるには、他人に対する期待を持ちすぎないことです。
「こうあるはずだ、こうあるべきだ」という基準は、自分にのみ向けておけば十分です。他人には他人の基準があるはずです。
他人の基準の存在を理解するために傾聴し、(自分の基準では価値がないように見える)違いに価値を見出す努力をし、傾聴してもなお、相手について知らない部分がまだあるかも知れないという謙遜な態度で、相手に対する理解を等身大に近づける。。。
恐らくその努力が「愛する」という動詞の意味するものなのではないでしょうか。
つらつらとミッションを記録してみましたが、一言でまとめると「愛する」ことなのだと思います。
自分にとって愛するとは何か、常に探求を続けたいと思います。