鑑賞者が思わず手を合わせる戦争画・藤田嗣治「アッツ島玉砕」~戦争画よ!教室でよみがえれ㉑
戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ
(6)鑑賞者が思わず手を合わせる戦争画・藤田嗣治「アッツ島玉砕」ー戦争画で学ぶ「戦争」の教材研究③
戦争画の代表作といえば藤田嗣治のこの『アッツ島玉砕』をおいて他にはない。これを画集で初めて見た時、身の毛がよだつとという感覚を初めて味わった。
最後の突撃、肉弾相打つ、血で血を洗う、白兵戦・・・こうした言葉による表現は何度も目にし、耳にしてきたがその言葉の意味を目の前で見せられているような感覚だった。
ただし、勘違いしないでほしい。私はこの絵を残酷だ、と感じたことはない。そうではなく、戦争における「戦闘」のリアルを感じたのである。戦場になど行ったこともない私にそう感じさせてしまう力はこの絵のどこにあるのか。
一塊になっている戦闘-写真や動画にはできない絵画だからこそできる迫真の表現。
兵士の鬼気迫る表情-その顔は勇気がないと凝視できないほどだ。
雪が残る荒涼とした大地とわずかな光もない暗闇-こんなに絶望的な場所で戦っているのか、という胸の苦しみ。
私は以上の3点が『アッツ島玉砕』を戦争画のみならず藤田嗣治を代表する名作にしていると思う。
無論、藤田はアッツ島に行ったこともないし、その戦場を見たこともない。何人かからの聞き取りのようなものはあったのかもしれない。だが、そのほぼすべてを想像で描くことで、見る人に「戦闘」のリアルを感じさせてしまう作品を創造してしまったのである。これが本物の画家の力量というものだろう。
数年前に東京国立近代美術館でこの絵の本物をみることができたのだが、想像以上に大きく、その迫力はすごい。本物は画集よりもさらに明度が低く、場所によっては照明の当たり具合で画面がかなり見ずらいところもある。だが、むしろそれがアッツ島での「戦闘」のリアルをさらに強烈に感じさせた。
アッツ島の戦いは北の果てアリューシャン列島で行われた。
ほぼ1年前にここアッツ島を占領した日本軍に対してアメリカ軍がその奪回をめざして上陸を開始したのは1943年5月12日。山崎保代大佐率いる日本軍は兵力も武器も足りない状況の中で17日間も激しい戦闘に耐え抜き、全滅した。このアッツ島での敗北が日本軍の最初の「玉砕」である。当時、このことは広く国民に知らされた。
じつはこの絵には「戦場」で戦う兵隊さんと「銃後」の国民を結びつける驚きのエピソードがある。そのエピソードを当の藤田自身が次のように語っている。
偶偶記録画巡回展が青森市で催された時のことである。
その前年札幌で同じく巡回展の帰路、あの海峡で暴風雨に遭遇して青森港に上陸したのは暁の二時頃だった。やっと駅前の安宿にそれも親方にたのんで布団部屋に寝かして貰った。その縁故で再びその安宿を選んだ私を歓迎委員等は血眼になって一流旅館を穿鑿して居る最中、単独で会場に滑り込んで居た私は、そのアッツ玉砕の図の前に膝まづいて両手を合わせて祈り拝んでいる老男女の姿を見て、生まれて初めて自分の画がこれ程迄に感銘を与え拝まれたと言ふ事はまだかつてない異例に驚き、しかも老人達は御賽銭を画前に投げてその画中の人に供養を捧げて瞑目して居た有様を見て、一人唖然として打たれた。
この画丈けは、数多くかいた画の中の尤も快心の作だった。(夏堀全弘『藤田嗣治芸術試論』美術の図書三好企画 p322~323 藤田嗣治直話)
この絵を見た人たちが画中の人に手を合わせ、供養のために賽銭を投げたというのである。こんなことは美術の世界では前代未聞のことだろう。この絵は鑑賞者の心の中に「死者に対する慰霊の心」を生み出してしまうのである。これは単なる感動を超えている。なんとすごい話ではないか。
また画家の野見山暁治はこんな話を書き残している。
この大きな絵が出来あがった日のことは、藤田邸に住みこんでいる私の女友だちから詳しく聞いていた。山崎部隊長を先頭に全員玉砕の姿を写したその画面のまえに家の者は集ってローソクをともし線香をあげて冥福を祈った。夜も更けたと思われるころ、画面の中央に描かれている山崎部隊長、それから画面に散在している兵隊のそれぞれの顔がふっと笑いかけて元どおりの絵にもどったという。「御霊還る」。(野見山暁治『四百字のデッサン』p11~12)
絵に霊が宿るというややオカルトなエピソードだが、この絵は人智を超えた何かがあることを感じさせてしまうのだろう。それほどまでにこの絵は当時の人々の心を強くうったのである。
先に紹介した夏掘全弘氏は『アッツ島玉砕』をこう評している。
アッツ島における壮絶な死闘のさまを描いた、この「アッツ島玉砕」が、山崎大佐の悠久の大義と武人の悲壮美の象徴として描かれたことも見逃せず、太平洋戦争における悲壮な国民叙事詩にまで、この藤田の「アッツ島玉砕図」は止揚されている。この凄惨を極めた戦闘場面は、鑑賞に堪えられぬ悲壮感を与えるが、藤田の描写力、レアリズムへの極限において、国民的悲愴の伝説へとに変貌する。(前掲 p323)
私たち戦後生まれの日本人も、この絵の前で手を合わせなければならないのではないだろうか。