敵兵を救助せよ!戦場でイギリス兵を救助した工藤俊作~日本が世界に誇るJミリタリー・教科書が教えない〝戦場〟の道徳(1)

 戦争があれば戦場が生れ、軍隊が、軍人が戦います。そこには人の死があります。それはつらい悲しい出来事に違いありません。しかし、だからこそ気高く、強く、美しい人間の姿も生れるのです。

 このシリーズはそんな〝戦場〟の道徳を短いエピソードで紹介するものです。私はここで紹介するエピソードを多くの小・中学生の子どもたちに知ってほしいと思っています(なお、ここで言う〝戦場〟という言葉には戦場そのものだけでなく一つの軍隊、一人の軍人をも含めているとお考え下さい)。

 このシリーズで紹介するエピソードは学校の道徳・読み物教材として使っていただくことを念頭において作成していますが、他にも歴史の戦争学習教材として、あるいは朝の会等で使うお話用の話材として使っていただければ、とも思っています。

 第1回は、奇跡の救出劇―自分の命も危険な戦場であえて敵兵を救助した工藤俊作艦長と駆逐艦・雷の乗組員たちのエピソードです。

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「工藤艦長の判断は素晴らしかったと思います。命の大切さがとても身にしみました」
「工藤さんは勝ってもいばらず、敗者の健闘をたたえる人」
「工藤艦長のような人になりたいと思いました」
「同じ日本人として誇りをもって僕も生きたいです」
「本当の親切とは優しくてしてあげるのではなく、勇気も必要なんだなと思いました」

 上記はこのエピソードを教材とした私の道徳授業を受けた小学校6年生の感想文の一部です(平成20年9月8日『世界日報』に取り上げていただきました)。子どもたちにも大きなインパクトのある実話です。

 工藤艦長と雷のこの話はフジテレビ『奇跡体験!アンビリーバボー』(2007年4月19日)で取り上げられました。エピソードを読んだ後に下記の動画の再現映像(約20分)を見ることをお勧めします。

https://www.bing.com/videos/search?q=%e5%b7%a5%e8%97%a4%e4%bf%8a%e4%bd%9c+%e6%ad%a6%e5%a3%ab%e9%81%93&docid=608009662336401554&mid=68C52773225BA47A8BF768C52773225BA47A8BF7&view=detail&FORM=VIRE

◇エピソード 敵兵を救助せよ!戦場でイギリス兵を救助した工藤艦長 
◇来日したサムエル・フォールさん
<参考文献等>

◇エピソード 敵兵を救助せよ!戦場でイギリス兵を救助した工藤俊作艦長

 みなさんは日本とアメリカ・イギリスが昔、戦争をしていたことを知っていますか。今から80年前。日本はアメリカやイギリスと海と陸を舞台とした戦争状態にありました(※)。

 戦闘は主に東南アジアや太平洋の南の島々の近くで行われました。ジャワ島のスラバヤ沖での海戦もその一つです。この海戦では日本軍、イギリス軍のどちらも十数隻の船から大砲を撃ち、魚雷を発射して相手の船を撃沈しようとしました。戦闘は日本軍の圧倒的な勝利に終わりました。

 このスラバヤ沖海戦の後方に工藤俊作艦長にひきいられた駆逐艦・雷(いかづち)の姿がありました(※)。雷は別の任務のためにちがう場所にいましたが、味方の無線信号を受けて急きょ戦いの場へ向かいました。しかし、到着したときはすでに戦闘は終わっていました。

 ところが、このときに見張り番の兵隊からこんな報告が入りました。「左30度、距離8000、浮遊物多数!」はじめは、浮遊物は味方の船が敵の潜水艦にやられたものだと思っていたのですが、次の報告が入ってきたのです。

「浮遊物は漂流中の敵の兵隊らしい」「漂流者は400人以上です!」                             

 この400人以上の漂流者は日本軍の船に撃沈されたイギリス駆逐艦・エンカウンターの乗組員でした。彼らはすでに21時間も漂流し、船からもれた重油の海につかり、多くの者が一時的に目が見えなくなっていました。この乗組員の中にサムエル・フォールさんがいました。のちにフォールさんはこう言っています。

「救命ボートに5,6人でつかまり、首から上を出していました。見渡すかぎり海、また海で、陸からは遠く離れ、食料も飲み水もありません。このジャワ海には味方の船はどこにもありませんでした。私はきっと味方が助けに来てくれると信じていましたが、一夜を明かし夜明け前になると、もうだめだと気分が落ち込んできて死んだら天国で優しかった祖父に会いたいなどと考え始めていました。仲間の中にはこうした苦しさに耐えられなくなって軍医に自殺のための薬をくれ、と言い出す者もいました。」

 工藤艦長はこの漂流者たちを見て悩みました。いくら敵とはいえ困っている人たちを見てこのままにするわけにはいきません。が、しかし、この海のどこに敵の潜水艦がいるかもわからないのです。スピードを緩めたり止まったりすれば敵の魚雷のかっこうのえじきになってしまいます。しかも、この海域には敵の潜水艦が多数ひそんでいるとの情報も受けていました。

 工藤艦長は部下に敵潜水艦の潜望鏡が見えないか確認するように指示しました。

「敵潜水艦らしきものは見あたりません」「異常なしです」

 これを確認すると工藤艦長は叫びました。

「敵兵を救助せよ!」

 雷はただちに「救難活動中」という意味の国際信号旗をマストに掲げ、「われただ今より、敵漂流将兵多数を救助する」と無電を発しました。こうして世紀の救出劇が開始されたのです。

 雷の日本兵は縄ばしごやロープ、竹竿を出し、「上がれ!」と大声で声をかけました。イギリス兵たちは最後の力をふりしぼって船に向かって泳ぎました。イギリス兵のほとんどは自力ではい上がってきましたが、負傷者がいる時には体にロープをまきつけて、引けの合図を送ってきました。しかし、中には「これで助かる」と思って安心してしまったのか、ロープを握った瞬間に力尽きて海中に沈んでいく者もいました。

 それを上から見ていた日本兵は涙声になり声をからして叫びました。

「がんばれ!」「がんばれ!」

 とうとうこの光景を見かねた日本兵の一人は海中に飛び込み、泳ぎながらイギリス兵の体や腕にロープをまき始めました。それを見るとまた一人、また一人と日本兵が飛び込み、イギリス兵を助けました。もうここまでくれば敵も味方もありませんでした。フォールさんはこの時のことをこう書いています。

「私は雷を発見した時、日本兵に機関銃で撃たれるにちがいない。いよいよ最後の時が来た、と思いました。ところが、日本兵は私たちを助けてくれたのです。縄ばしごでなんとか甲板に上がることができたわれわれを日焼けした日本兵は温かく見つめてくれていました。私たちは油や汚物にまみれていましたが、木綿のぼろ布とアルコールで体の油をふき取ってくれました。しっかりとしかも優しく。友情あふれる歓迎でした。私は緑色のシャツ、カーキ色の半ズボン、運動靴を渡されました。そして、熱いミルク、ビール、ビスケットまでくれたのです。まさに奇跡が起こったと思いました」

 そこへ工藤艦長は艦橋から降りてきてイギリス兵に敬礼をすると、流暢な英語でこうスピーチしたのです。

「あなた方は勇敢に戦われた。今やあなた方は、わたしたち日本海軍の名誉あるゲスト(お客様)である。わたしはイギリス海軍を尊敬している。ただし、あなた方の国が日本に戦争をしかけたことは愚かなことだと思っている」

 雷はその後も生存者をさがし続け、たとえはるか遠方に一人の生存者がいても必ず艦を近づけて停止し、救助したのです。日本兵150名は計422名のイギリス兵を救助し雷の甲板はすわる場所もないほど日本とイギリスの兵隊であふれていました。

※1941年12月8日に日本軍はハワイ・真珠湾のアメリカ軍基地、マレー半島のイギリス軍基地を攻撃して戦争が始まりました。

※駆逐艦はスピードを生かして大きな戦艦や巡洋艦を助けるのを役目としている。

※関連する道徳の徳目 「公正、公平、社会正義」または「感動、畏敬の念」

◇来日したサムエル・フォールさん

 戦後、サムエル・フォールさんは1987年にアメリカ海軍機関紙に「武士道」と題する工藤についての文を投稿。また1998年にも駆逐艦・雷の敵兵救助の話をタイムズ紙に投稿しました。

 こうした投稿文が日本にも届き、2003年に来日が実現。この時にフォールさんは工藤の消息を探してほしいとの旨を関係者に伝え、2008年に再び来日して工藤艦長が眠る埼玉県・川口市の薬林寺を訪ねることができました。67年ぶりの「再会」です。

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 なお、このエピソードは戦時中は公表されませんでした。考えてみれば、助けたイギリス兵たちは再び銃を取って日本軍と戦うのです。それを「美しい話だ」などと片付けるわけにはいきません。自分の命がかかっているのですから。戦時中に公表できなかった理由はこんなところにあったと思われます。

 工藤俊作自身、戦後になっても親族にも一切を語らず1979年に他界しています。ですから、親族のみんさんもこの事実を知ったのはフォールさんによるものなのです。そして、参考文献にある惠隆之介氏の著書によって広く知られるようになったというわけです。

 戦時中や戦後すぐに公表できなかった理由は私も理解できます。しかし、戦争が終わって約80年が経ちました。私は工藤艦長の人道上の「正義」を同じ日本人が賞賛してよい時代になっていると思います。日本が世界に誇るJミリタリーとしてこの国の子どもたちに知ってほしいエピソードです。  

 なお、この世の中には「軍隊」「軍人」という言葉に異常なまでに不快感を表明する人がいるようですが、それは職業差別です。軍隊や軍人はどんな国にも存在する世界最古の職業の一つです。医者や教師、スポーツ選手、警察官や消防士、会社員などと同じ職業なのです。それを誹謗・中傷することは重大な人権問題であることを申し添えておきたいと思います。

<参考文献等> 

*惠隆之介『敵兵を救助せよ』(草思社 2006年)

*惠隆之介『海の武士道』(産経新聞出版 平成20年)         


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