障害の説明を親がする②
障害の説明を親がする①の続きです。
良かったらこちらをご覧になってから、読んで下さい。
困り事の内容と、その手立てもわかったのに、『困ってる』事が伝わらない...
この状況を変える為に最初に私がした事は、学校にアーレンシンドロームを知ってもらう事でした。
視覚過敏がどういうものか?
学習するのにそれがどの様に障害となるのか?
私が行った講演会の資料を渡したり、当時書きの困難のためにお世話になっていた、
【ICTをいかにして学習利用するか?】
を習うスクール(Aスクールとします)で教えてもらった事や支援方法について、それから同じ事で困ってるカナの友達Cちゃんが、どんな支援を受けているのか?
資料を見繕って渡す事にしたのです。
でも、たぶん学校としては『親が騒いでる』としか思って無かったのだと思います。
ちょっと脱線しますが、
このAスクールに通うきっかけは、S先生が勉強も兼ねてお手伝いしていると聞いて興味をもちました。書きの困難をICTを使う事で補えたら、もう少し学習が楽になるのでは?と考え入会しました。
でもカナはここで、それ以外にも大切なモノを手に入れます。それは、
S先生以外にも自分を理解してくれる大人が世の中にはたくさんいる事。
自分と同じ様な悩みを抱える子供が沢山いる事。
そして感じ方、学び方が多くの人とは違っても、何の問題もない事を知り、自分が表現する事で困ってる人の役に立てる事がある!と知ります。
今カナは、
将来自分と同じ様な事で困ってる子供を助ける仕事がしたい!
と思っています。
もちろんこの後の色々な経験を経て、その考えに至ったのでしょうが、Aスクールが出発点だったのは間違いないと思います。
戻りますが、
もう私の説明だけでは難しいと思い始めた頃、Aスクールからの勧めもあり、大阪のLDセンターを受診し診断書をもらう事にしました。
ここで検査結果を聞いた時は、それまでのカナの行動や私が感じていた違和感など、
あーそうなんだ!
と見え方が色々な事に関係していたのだと、改めて感じました。
なので学校に理解してもらえなかったとしても、
ここに受診する事は間違いなくメリットがある!
と思った私は、カナの検査結果を聞いたその日に弟のユタの予約も入れました。
そしてこの診断書をきっかけに、学校も支援に向けて動き出しました。
ここの所は病弱支援学校だったので、先生方の気持ちが変わったというよりは、医療からの診断書の存在が大きかった様です。
ところが、支援をお願いをして1回目のテストの事です。
『こんなテストは嫌だ!』
とカナがイライラして帰ってきました。
持ち帰った国語のテストは、A3用紙2枚をテープで繋いだモノが2枚でした。
テープで繋いだ所にも答えを書く場所があり、そこには鉛筆で答えを書くことすら出来ない、そしてこのテストは、机からはみ出す大きさでした。
もちろん上手くフォントや文字サイズを変えて、見やすいテストを作って下さった先生もいらっしゃいました。
ですがここでも教科担当制の良くない部分が出てしまい、それぞれの先生が考えた支援方法となり、統一された支援を希望する事は難しいのだと思い知る事となりました。
(とは言え、このサイズは支援とは呼べないと個人的には思っていますが...)
そしてそれは先生のセンスが問われる事となるのだなぁと...
この辺りからは、統一した支援をお願いする為に、もう少し具体的に『こうして欲しい』を伝える様になったと思います。
担任のE先生が発達障害に詳しかった訳ではありませんが、カナの特性を上手く利用したり、私が学校外で仕入れた支援方法をお願いしても、受け入れてくださる方だったので、カナも先生を信頼していましたし、私も何でも相談できました。
そしてこの後のいろんな出来事も、一緒に乗り越えて下さいました。
支援学校だから理解してもらえるではなく、理解して一緒に育ててくれる先生を捕まえる事が大事!と思う様になっていました。
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