【地味スピ】夢で亡くなった両親と会う
【地味スピ】とは、地味なスピリチュアル体験、つまり地味な不思議体験、はたまたアクティブ・イマジネーションでもある。信じようと信じまいとあなたの自由だ。ただし、笑うことはカテゴリーエラーである。
(なんか、海外の連続テレビドラマみたいに、毎回流れる前置きナレーションやってみたかっただけです)
父が亡くなった後、父はあまり夢に出てこなかった。
お通夜当日の情景を、亡くなる数年前に正夢に見ていたことは以前noteに書いたけれど(まだ自分の記事が埋め込みできないという)、口下手な父は特に言うこともなかったのかな。死に目にも合えたし。というか、私が病室にいた時に急変したから、私は赤ちゃんをおぶったまま医師や看護師さんたちが慌ただしく病室へ入ってくるのを邪魔にならないよう見ていた。
母は死に目に合えなかった。亡くなってから、ほぼ毎日のように夢にでてきた。
寝ている私の枕元に立つ夢や日常を送る夢がほとんどだけど、印象的な夢が三つあった。それはいずれも私の明晰夢で見た夢だった。
一つめは、母と姉と一緒に車に乗っている。姉が運転席、母が助手席、私は母の後ろの席。夢のなかで、ふいに
(ああ、母は死んだんだ)と思いだし、前の席の母に後ろから抱きしめて
「もう死なないでね」と言った。
母は苦笑していた。
「そういえば、死ぬ時くるしくなかったの?」と聞いた。
すると、聞いて聞いて!という感じで、
「それがねえ、思ったより全然苦しくなかったんよ!」と嬉しそう。
「そうなんだ、良かったね!」
という夢。
二つめは、母も私も天女の羽衣みたいな衣装で一緒に飛んでいる。そしておばさん(母の存命中の姉)に会いに行った夢。
三っつめは、実家近くの田んぼの畦道で、母がたくさんの人を先導している。
近くに降りたって(明晰夢だから飛んでいた)母に
「何しているの?」
と聞いたら
「死んですぐの人たちを、迷わないようにポーターしてるんよ」
ポーターといいつつ、何も荷物はもっていない。
「だから、結構忙しいんさ」と。
それから、頻繁には夢にでて来なくなった。
何度か、両親が一緒に出て来た。
その中で印象的だった夢。
光がキラキラと反射する、きよらかな小川のほとりで、父と母が並んで立っている。穏やかに微笑んで、小川で遊ぶ私の子どもを見守ってくれていた。
実家で飼っていたシェットランドシープドッグのレオも、キジトラ猫のモモも向こうの世界だ。もしくはもう、生まれ変わっているかもしれない。
今我が家にいる猫のハルは、わずか一才で虹の橋を渡った、クッキーという猫の生まれ変わりだと思っている。白黒短毛から、サバトラ半長毛に着替えてきた。
今横でだらーんとしている。
追記
さっき、アマゾンからケン・ウイルバーの「インテグラル理論」届いた。ケン・ウイルバーの「進化の構造」で私は本当に感激して、その流れでアーノルド・ミンデルなども知った。長い時間のあと、このnoteで今度は「インテグラル理論」が出版されていることを知った。読むのが楽しみです。感想文は時間がかかるかもしれないけれど、書きたいと思っています。