見出し画像

感想 邂逅の森  熊谷 達也 マタギを描く作品において、彼らが野性的に描かれるのは、熊と戦うのは、そういう人ではないといけないという先入観があるからなのかな。

熊との闘いというと、ともぐい が話題ですが、本書も同じ直木賞受賞作品で熊との死闘を描いた作品です。

少し長かった。
それにしても、マタギ 猟師のこと を描く作品は、ともぐい もそうだったが、主人公の猟師が中上健次が描くような少し変態的な性欲の持ち主の確率が高いようです。
そういう人間でないと狂暴な熊とは闘えないという偏見があるのでしょうか。

この物語は、マタギの男と二人の女を描いた物語です。
時代が明治ということもあるのか、狩りの仕方が旧式で、最初のほうは鉄砲を使わないで猟をします。
戦術が見事です。そこに猟師の一団がいるかのようでした。

主人公はマタギです。
ある村のイベントで大地主の箱入り娘と出会い一目ぼれする。
夜這いします。
彼女は処女でした。二人は付き合うことになる。
それからが少し変態的です。清楚なイメージの女性が、彼と性的関係を結んだとたん商売女みたいに積極的になります。
僕はここに違和感を感じました。いくら何でも、それはないと思ったのです。

彼女が妊娠すると、彼は猟師を辞めさせられ炭鉱夫にさせられます。
生木を引き裂くかのように別れさせられるのです。
彼女には医師の許嫁がいて、その人と結婚します。

この女性と、元売春婦の妻の二人の女性の存在が、この物語の別のテーマなのだと思う。
結婚とは何か、幸せとは何かを問う形になっています。

主人公の師匠の存在が印象に残りました。
前半で、こんなことを言っています。

人間の欲というものは、やっかいなもんでな。欲を消せば抗うこともしなくなる。


もう一つ、後半でも彼は名言を吐きます。
師匠は組を解散したのですが、その理由が興味深い。

このままだば森に獣がいなくなってすまう。獣が棲まねぇ森は、見た目が森でも、もはや森ではねえ


乱獲で森に獣が減っている。
それは戦争の防寒具のため軍が高値で毛皮を買い取ってくれるからで、マタギだけでなく、都会から来たようなにわかマタギが罠などを使い乱獲しているのです。

マタギの生活は自然との共生が念頭にありますが、そこに商業主義が介在すると、瞬く間にそのバランスは崩れてしまいます。

この小説の中には、マタギ文化が色濃く反映されています。
山に入る前には、女を抱いてはいけないとか、殺してはならない熊を殺したら引退させられるとか。
山の神に対する畏敬の念があります。
つまり自然に対する配慮、恐れ、尊敬の気持ちが彼らの生活にはあり、単に生活のため、金のために猟をしているのではない。
だからなるべく罠は使わない。正々堂々と戦うのです。

そこにはマタギという生き様が見て取れます。
本書の魅力はそこにあったのかなと感じました。

2024 7 7
















いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集