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書評 対岸の彼女  角田光代   私たちの世代って、ひとりぼっち恐怖症だと思わない?。それは我々共通の呪縛である。

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学生時代、私は学年の最初に、誰でもいいから話しかけ友達を作った。
そして、おかしいと思っても、いつもニコニコ笑ってた。
「孤独」が怖かったのだ。
そのおかげもあり、常にグループの中にいて
まるで護送船団に守られているみたいに青春時代を過ごした。

だが、当時はたくさんいた友も今はほとんど付き合いがない
利害関係がなくなると遠ざかっていく
それが学生時代の友達だ。
親友の高校時代からの友達とだけ週一でメールとかしているだけだ。
表面的な友達は今でも多い。
だが、何でも話せる人はいない。
利害関係抜きになると、その人たちは別人のように冷たくなる。

まるで、この物語の出来事のようにだ。

私たちの世代って、ひとりぼっち恐怖症だと思わない?。

昨中、主人公は言う。

お友達がいないと、世界が終わるという感じ・・・

だからって、友達がいても幸せとは限らない。
トイレに行きたくもないのに一緒にツレしょんしたり
興味もないアイドルの話しに耳を傾けたり、そんなのは苦痛だ。

田村は専業主婦で三歳の娘がいた。
就職し、女社長の樽橋葵と出会う。

その会社には、今までと同じようにすぐにフレンドリーな感じで近づいてくる人がいた。

まったく垣根のないような気安さで、だれからと境なく悪口を吹き込み、それに賛同するように煽り、けれど気がつけば自分自身がやり玉にあげられていたりする

思わず「いるいる」と叫びたくなった。
こういう毒吐きはどこにでもいて、たいていはグループのリーダーになっていて、次から次へとターゲットを探して毒を吐きまくるのだ。

孤独は怖い。だが、無意味な関係性は虚しい。
そんな時、女社長の樽橋葵がこんなことを言った。

・・・ひとりでいても怖くないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだけど・・・

無意味な関係性よりも、大切な何かと出会うことの方が大切だと彼女は言う。
それは仕事なのか、人なのか。

ひとり恐怖症はマニュアルに似ているのに気づく

マニュアルがある時、人って考えることを放棄すんの。考えないと何も見えない、何も心に残らない。


だから、本当の意味での友達になれないのだ。
現代人の「孤独」はここにある。

樽橋葵の口癖が好きだ。

あたし、大切じゃないものって本当にどうでもいいの。本当に大切なものは1個か2個で、あとはどうでもよくって、こわくもないし、つらくもないの

誰かとの偽りの関係性や表面的な好印象には興味はないのだ。
孤独なんて怖くないのだ。

そんな葵には親友がいて、彼女は貧乏で学校でもイジメられていた。
二人は夏休みに逃避行しビルから飛び降りたのだが、助かったのだった。

そんな葵が父に質問をする。それは自分への問いだつたと思う。

お父さん、なんで私たちは何も選ぶことができないのだろう。
何かを選んだつもりになっても、ただ空を掴んでいるだけで、自分の思う方向に、自分の足を踏み出すこともできない。
・・・何のためにわたしたちは大人になるの?。大人になれば自分で何かを選べるようになるの?。

田村はこう思っている。

いくつも年齢を重ねたのに、・・・高校生のころと全く変わらない。架空の敵をつくり一時強く団結する。けれどその団結はおどろくほど脆いことを・・・知っている

田村は、女社長樽橋葵とその親友が理想的な関係性に思えていた。どこかに憧れを感じていたのかもしれない。しかし、二人は他の関係性と同じく。今は疎遠なのだ。それについての解釈がおもしろい。

手をつなぎ屋上から飛び降りた二人の女子高生が、なぜそれきり会わなかったのか小夜子はふいに理解する。連絡しなかったのではない。子供だからすぐに忘れてしまったのではない。葵ももう一人の女の子も、こわかったのだ。同じものを見ていたはずの相手が、違う場所にいると知ることが。


孤独であるという事は不幸である。この宗教のような思想は私たちを呪縛し
私たちを不幸にしているように思える。
偽りの関係性を保つため、常に悪口を言うターゲットを探し攻撃し
飽きたら別の人を攻撃し、それを繰り返すことに何の意味があるというのか?

その関係性は何も生み出さず。そんな繋がり方をしていても友にはなれぬのだ。

樽橋葵の生き方こそが、真の幸福を探求する生き方のように思える。
「孤独」など恐れるものではない。
偽りの関係性に何の意味があるのだろうか?。


*映画化されています。

2020 10/25






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