感想 三河雑兵心得十三奥州仁義 井原 忠政 最後の九戸政実の首を取り替えのエピソードが素晴らしい。茂兵衛らしい対処に思わず、よくやったと口に出してしまった。
時代としては徳川が三河から関東への引っ越しと、その後の奥州征伐が描かれている。
服部半蔵の家がお隣とかのエピソードは面白いが前半は退屈。
だが、奥州攻めに入ったとたん、がせん面白くなってきた。
今回は井伊直政とともに、蒲生氏郷らの下で奥州の反乱軍を征伐するのが役目。
三度刺されても息絶えない九戸の武将のエピソードに彼の地の武士の質の高さが見てとれる。
総大将の豊臣秀次の鬼畜ぶりがすごかった。
秀次に関しては無能と見る作家さんが多く、本書の著者もその立場らしい。
稀代の英雄豊臣秀吉の甥という立場は相当なプレッシャーなのだと想像できる。
降伏すれば城兵の生命を助け、謀反人九戸政実の言い分も聞くという約定にて城は明け渡されるのだが、豊臣秀次はすぐに約束を反故した。
茂兵衛は、そんな九戸政実を大阪に連行する役目を押し付けられたが、途中で斬首しなさいという命令が届く。切腹ではなく斬首というのが秀次の卑劣さだ。
言い分を聞くという約定は無視されたのだ、いや、秀吉の前で口を開かれることを秀次は恐れたというのが正解だと思う。
ひどすぎる、いくら戦国の世でも、これはひどい。
九戸政実に、扇子を渡し切腹のふりだけでもしてもらう茂兵衛。
これが彼にできるギリギリの温情なのだ。
首を保管し旅路を急ぐ、そこに不審な親子が現れた。
九戸の家臣の親子である。
自分の首と殿の首を替えてくれと懇願するのだ。
その男は九戸と似ていた。彼は息子の前で茂兵衛の短刀を使い自害する。
茂兵衛はその首を九戸の首と取り換えて秀吉に渡した。
今も首が入った九戸の墓が東北にあるという解説は、このエピソードが真実だということを示している。徳川が東北大名に嫌われていなかったのは、もしかすると、こういう部分が好感されたのかもしれない。
茂兵衛は架空の人物なのだから、他の徳川の家臣の功績だと思うが、こういう優しさは茂兵衛らしいし、東北大名に嫌われたくないという家康の内意もきちんと反映されていると思う。
戦の前に本田正信は言っていた。
戦うふりだけしていたらいい、何なら空砲でもいいよ。
家康は九戸に同情的だったのだ。
これは豊臣の戦さであり、徳川の戦さではない。
だから、茂兵衛は九戸の首を取り換えた。
それが史実だというのなら、実際にやった人物は茂兵衛のような気骨のある人だつたのだと思う。
このエピソードは実に小気味よい。
2024 6 30