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縦割りな日常〜濃密な関わりを仕掛ける

学級ごとの塊をぶっ壊す!

小学校の昇降口の靴箱って「縦列の枠をクラスの人数で区切った塊」を、学級ごとに割り振りますよね。
その枠を学年ごとに配置したり、兄弟学年で配置したりするのは、学校ごとやその年のクラス数で変わったりします。

靴箱の塊を縦割り班にしてみる

私が勤務していた学校は、1組だけを集めた縦割り班、2組だけを集めた縦割り班、3組・・・という異年齢集団を作って活動していました。特別活動主任をしていた時に、学校行事の決められたコマにだけ集まって活動をしているより、もっと日常的に関われる仕組みができないか考えました。
そこで、2つアイデアを出しました。
A:靴箱を縦割り班で割り振る。
B:清掃活動を縦割り班で割り振る。
【新しく生まれる効果】
A:朝学校に来て、一番初めに向かう靴箱に毎朝自分の縦割り班の上級生下級生が物理的にくっついて関わり合う。
休み時間に校庭に遊びに行こうと靴箱に行くと、班の上級生と下級生が顔を合わせる。
午後の校庭体育が終わって教室に戻ろうとした上級生が下校しようとする下級生と靴箱で会って言葉をかわす。
靴箱の配置を変えるだけで、縦割り班の特別な時間を増やすことなく、関わり合いが増える。
B:上級生と下級生が清掃活動で発達段階に合わせて役割分担が自動的に行われ、清掃の仕方の指導が自然と行われる。

当然、年上の頭のかたい人たちから文句が入ります。彼らは、基本的に前例踏襲に浸っていたい、余計な事で煩わされたくないという思考なので、
「靴箱による出欠の確認ができない」
「靴による児童管理が面倒」
「清掃指導管理が複雑になる」
などなど、あれこれ理由を捏ねくります
反対の原動力は、「自分(教員)が面倒」なので、こういう子ども主体に考えていない意見は基本的に相手にしたくない。挙げ句の果てに「忘れ物を届けに来た保護者が子供の靴箱に入れるのに困る」とか、よくもそんなニッチなシチュエーションを理由に反対できるな、という意見まで出て来る始末。

だったら首傾けて靴箱を見ろ!

二つともゴリ押しすると収拾がつかない感じだったので、比較的導入に手間がかかりそうな「B:日常の縦割り班清掃」は取り下げて、「A:縦割り班靴箱配置」1本に絞って進めることに決めて説得を始めた。
「靴箱を上の層から6年5年・・・2年、最下層を1年にします。左から1組グループ1班、1組グループ2班、・・・って割り振ります。6年1組の担任は、左から右に最上段を見ていけば、あなたのクラスの靴箱です。1年1組の担任は、最下層を同じように見ていけば、あなたのクラスの靴箱です。細長くなりましたけれど、クラスの塊は壊れていませんよ。」
「忘れ物は、受付に持っていって・・・」って。

無事に反対意見も収まり、実現することができました。

もはやクラスは縦割り班でいいんじゃない?

さて、3年前に退職したのですが、退職直前はこんなアイデア思いつきました。
「日常の基本を縦割り班にする。」
朝、縦割り班の教室に行くと縦割り班の担当がクラスにいる。朝の会が行われる。授業が始まると専科の教室に移動するかの如く、各学年の授業が行われる教室に移動する。授業が終わり、中休みになったら縦割り班の教室に戻ってくる。給食ももちろん縦割り班。掃除も。
帰りの会は?
まあ、色々解決しなきゃいけない課題は出て来るだろうけれど、首を傾けて発想を変えれば、きっと解決できるし、新しい価値が生まれる。


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