水始涸(みずはじめてかる)
夏の名残りが薄れ、季節がゆっくりと秋へと移り変わるのを肌で感じる。
黄金色に染まった稲穂が陽の光を浴び、重たく頭を垂れている姿は、まるで一年の勤めを終えたかのように静かで、凛とした佇まいを見せている。
田んぼに張られていた水は、ゆっくりと引かれ、ひび割れた土が顔を覗かせ始めると、そこに広がるのは秋特有の、寂しさと温もりが入り混じる情景。
「水始涸(みずはじめてかる)」とは、
まさに田んぼの水が抜かれることを指す言葉。
そこにはただ物理的な現象を超えた季節の響きがあるように感じる。
冷たさを帯びた風が稲穂の間をすり抜け、乾いた土に少しずつ染み込んでいく。
土の香りがほんのりと鼻をくすぐり、ふと足を止めたとき、田んぼの中で動く小さな命たちの存在に気づかされる。
水の下に隠れていたカエルたちが、顔を出し、土の中の小さないきものたちが冬支度を始める頃。
先日、近くの里山を歩いていたときのこと。
農家の人々が稲刈りの準備をしている光景に出くわした。
鎌で稲を刈る音が秋風に乗り、どこか懐かしく、穏やかな響きを耳に届ける。
その音を追いかけるように、トンボが田んぼの上をすいすいと飛び、鳥たちが稲の間に潜り込む。秋の訪れを感じるひとときだった。
田んぼの水が引かれると、その静かな変化の中で生き物たちの営みが少しずつ見えてくる。
稲の根元に身を潜めていたカマキリが土に穴を掘り、カエルたちがじっと巣を探す。
冷たい風が吹き渡るたびに、彼らがどこか寂しげで、澄んだ瞳を見る。
彼らもまた、冬に向けて生き抜くための準備を始めているのだろう。
これから農家の方にとっては、収穫に向けた忙しい日々が始まる。
稲を刈り、束ね、乾燥させ、脱穀。
そして新米として送り出すまでの過程は、まさに心と体を込めた作業。
田んぼの水を抜くという小さな一手が、豊かな実りを迎えるための最初の大切な工程であることに思いを馳せると、
目の前に広がる田園風景が、ただの景色ではなく、一つの物語に見えてくる。
そうした時間の積み重ねが、やがて米一粒一粒の重さになり、私たちの食を豊かに彩る。
家に戻り、夕方の少し冷たい風を感じながら、米櫃を開け中を覗いてみる。
その白い粒を指先で転がし、光にかざしてみると、田んぼで見た稲穂の姿がふと目に浮かぶ。
畦道を歩く時に感じた土の香り、稲の束が揺れる音、そして農家の人々の背中。自然の巡りがこうして形となり、手の中に収まっているのだと思うと、心の中に温かなものがじんわりと広がるのを感じる。
秋は収穫の喜びと同時に、次の季節への準備の始まりでもある。
田んぼが水を引くと、そこには冬を迎えるための静かな気配が満ちてくる。冷たい風に吹かれながら、農作業を終えた田んぼがじっと休息しているように見えるその光景には、どこか物寂しくも優しい美しさがある。まるで、ひとときの静寂の中で、季節が息を整え、次の巡りを待っているかのようだ。
私たちの暮らしもまた、同じようにこの季節に寄り添って動いている。部屋の片隅にしまっていた厚手の毛布を取り出し、クローゼットの中の衣服を入れ替える。
台所では、夏の野菜から根菜へと料理の主役が移り、暖かな鍋料理が食卓にのぼる。そんな小さな日々の変化を重ねながら、心の中にある「水」も少しずつ引いていく。やがて、冬の訪れと共に新たな季節を迎えるために、私たちもまた準備を整えていく。
「水始涸」
ただ水が引くだけの現象ではなく、次の季節への静かな合図。
その合図を聞き逃さないように、私たちもまた、季節の声に耳を澄ませ、心の水を引いていく準備を始める時なのかもしれない。
冬の寒さが訪れる前に、静かな秋の息吹を胸に刻みながら。