事実は小説より奇なり
自分の中に、子供がいる気がしてから数ヶ月。
色々な精神病系統の話を聞きつつ、自分に当てはめたり当てはめなかったり。
そんな中、大切な人に反抗期のようなものを行ったことで、自分の中の子供を少し肯定できた気がする。
なぜそんな気がしたのかと言うと、その日の夜、ちょっとした文章を読む時間があった。
その文章は、自分に似たような症状を持っていた女性の物語だった。
読んでいると、なんとなく共感できるような、心が締め付けられるようなところもあった。
心がギュッとなった時、ふと自分の左胸の辺りに、感覚ではあるが子供が見えた感じがした。
とてもオカルト的で、簡単に人には話せない話ではあるし、おそらくほとんど外では話さないだろう。
それでも本当に、子供が私の胸のあたりにいる気がした。
これがもしかしたら私の中の子供なのかなぁとぼんやり考えながら、その子の顔が私側に向いていて、読んでいる文章の方を向いてないことを考えると、多分あまり読みたくないのだろうと勝手に想像した。
『君は読まなくて良いよ。そこで私にぎゅっとしてて良いよ。これは私が物語として読んでいるだけだから、感情移入する必要もないし、君が読む必要もないからね』
そう説明して、再度私は物語に目を通す。
なんだか嘘みたいな本当の話だし、これはもう精神がおかしくなって見えている幻覚だとか言われてしまったらぐうの音も出ない。
それでも、そうすることで自分の気持ちが楽になっていってるのは事実なのだ。
それからたまに、大切な人に会いたい、と不安になるとそういう感情がまだまだ沸いてくるのだが、その都度「不安ならまた私のところにぎゅーっとしといていいよ」と心の中の子供に伝えると、少し気持ちが楽になる。
なんだか、私の精神の中の子供の親になったような気分で、不思議な気持ちになる。
どちらも私ではあるはずなのだが、私の不安な気持ちを私が優しく受け入れる、という自給自足的癒しがある。
子供が見える感じになるのは、毎回ではないが、想像することで気持ちが落ち着くのだ。
聞く人が聞いたら、完全に精神を病んでいる発言だなぁなんて少し笑える。
それにしても、本当にオカルト系統のことは信用していない私だが、現実に自分に起こってしまっていることについては、信用せざるを得ないのだ。
これが、幻覚とか錯覚とかそういう言葉で終結させてしまえるなら、もうとっくにしている。
きっとこういうことは、どんな人にでも起こりうるんだろうと思う。
うつ病や依存症が、他人事ではなく誰にでもあり得る病気だというように、精神を病むというのは誰しも起こりうること。
そして、おかしくない人間なんていないということ。
みんな少しだけおかしい、それが普通。
だから、こんなおかしなことが起きたってそんなに驚く必要はないし、私の少しおかしい部分なんだろうなぁと笑っていれば、それでいいんじゃないだろうか。