白い薔薇の淵まで を好き勝手に振り返る
穢れのない清らかな愛が「純愛」と呼ばれるのだと思っていた。
しかし、この本が示す「純愛」は、限りなく肉欲的で、破滅に近いところにある。
平凡なOLの「わたし」と、非凡な若手小説家「山野辺塁」。
出会ったからには、離れられない。
ツインレイとかいうスピリチュアル的なものではなく、彼女たちの身体は、一つに触れ合わなければ、互いに朽ちる運命なのだと思う。
軽い羨望感すら覚えた。
ダイレクトに、自分の身体が人を生かすだなんて、そんな素敵な話、ほかにない。
どんどん深みに堕ちていく二人の愛の模様に、ある種の恍惚を感じながら読み進めた。
いや、愛、などではないのかもしれない。
事実、「わたし」は、同性愛者にはなりきれなかった、と振り返っている。
それならば、二人の間にあったのは何だったのか?
私はこう答えよう。
退廃的なほどに純粋な、肉欲に他ならない、と。
快感は二人の脳髄を痺れさせた。
白い薔薇が咲く淵の幻覚を見せ、思い出を「永遠」に昇華させるためのペンを握らせ、どんな柵も乗り越えて相手のもとに飛んでいく翼を与えたのだ。