『君の名は』2016年公開の理由?2022年に三葉と瀧が再会した場所の意味とは?
2022年春に三葉と瀧が再会することになった『君の名は』ですが、タイムトラベルではなかったという話を前回しました。今回は公開された2016年という年と、二人が再会することになったあの場所のなぜについて書いてみたいと思います。
*ネタバレを含むので映画をご覧になってから読まれることをおすすめします。
『君の名は』はなぜ2016年に公開された?
『君の名は』の公開年と、作中の瀧の世界線での時間は2016年ですね(三葉の世界線での時間はその3年前の2013年)。そしてティアマト彗星が地球を巡る周期というのは1200年ですね。
つまり、このティアマト彗星が前回地球に接近したのは1200年前のこと。作中では、糸守湖が出来たのはこの1200年前の隕石落下によるということになっていましたね。
現実の世界に当てはめてみると、2016-1200は816年になります。実は、816年に大阪の星田というところに、スウィフト・タットル彗星の一部と思われる隕石が落下しています。
この星田には、現在は北斗七星を祀る星田妙見宮という神社が建っています。816年というと、空海が高野山に金剛峯寺を建てた年でもあり、時代が大きく変化していくタイミングでした。
ティアマト彗星の意味とは??
作中で落ちてきた隕石の片割れはティアマト彗星という彗星のものでしたね。ティアマトというのはメソポタミアの神の名前で、龍の形をしていると言われます。
また、水を司る神様でもあり、宮水という三葉の苗字、瀧という名前にも水が入っていて関連しているのが見て取れますね。瀧という名前自体が、水に龍なのでティアマトそのまんまという感じがします。
瀧が三葉の口嚙み酒を飲んでひっくり返り、アカシックレコード?と思われる三葉の記憶にアクセスするシーンで、精子のような隕石が飛騨に落ちて地球の中に入っていく画があるのを覚えている方もいるのではないでしょうか。そこから三葉が生まれて育っていく様子が回想されていますね。
パンスペルミア仮説では、地球上の生命は隕石に乗って地球外からやってきたとされていて、ウィルスなども含め地球の中で発生したものではなく、外からやってきたのではと考えられており、生物の進化に影響を与えてきた可能性があると言われています。
彗星は地球の外を巡っていますが、実は隕石というのは新しい時代に変化していくタイミングで地球に新しいホログラムを届けるために落下してくるとも言われています。それを象徴しているのが上のシーンではないでしょうか。
いずれにしても、地球上の大転換が起こるタイミングというのに隕石が関わっている、そして水が象徴する大浄化が起こるというメッセージが込められているのではないでしょうか?
「片割れ時」が象徴するもの
作中でゆきちゃん先生が、授業の中でたそがれ(誰そ彼)時=片割れ時について触れていますね。この彼は誰?というのが「君の名は?」という最後のセリフとリンクしているというのは分かると思います。
なぜこのくだりが入っているのかには、色々な意味が込められていると思われますが、一つには黄昏時というのは昼でも夜でもないその間の時間帯であり、陽(太陽)から陰(月)へ切り替わるタイミングだというのがありますね。
実際に瀧と三葉はお互いに入れ替わることによって、男女という陰陽を両方経験するということを作中でしています。その両方の性質を兼ね備えた三葉だったからこそ、父親を説得して破局を回避できたのではないでしょうか。
さらに、最初のセリフ「ずっと誰かを探している…」にあるように、二人は自分の「片割れ」であるお互いを探していますね。これは、ツインソウルとも言うべき自分の片割れを探している物語全体を象徴していますね。
それを感じさせるカットが映画の各所に散りばめられていますが、気づかれたでしょうか。例えば、月が半分に切り取られた画、Half Moonと書いてある瀧のTシャツ、そして、瀧が着ているジャケットの腕の部分の模様が陰陽図(しかも片方の勾玉の中心がない)のようになっていること等ですね。
お互いの入れ替わりの経験を通して、片割れを見つけ男女という陰陽が統合されていく。そんな物語になっているのではないでしょうか。
なぜ再会したのは四谷須加神社だったのか??
映画の最後で三葉と瀧が再会を果たすのは、東京の四谷にある四谷須加神社の前の階段ですね。この場所が再会の場として選ばれたのにはどんな意味があるんでしょうか。
上の陰陽の話にも繋がるんですが、東京の山手線と東京から新宿までの中央線の形(元は江戸城の堀)というのは、少し細長い陰陽図のような形をしています。
そして、その東側の勾玉の中心にあるのは皇居ですね。もう一つの勾玉で、その対になるような位置にあるのが四谷須加神社なのです。つまりこの場所は皇居の対となる場所であるということ。
それが意味するのは何か?
それは、男性中心社会の終わり、男女という陰陽が分離した状態が終わっていくということを意味しているように思います。
三葉と瀧は、男女の入れ替わりを通して両方の性質を体験的に理解しました。それによって、陰陽両方の性質を兼ね備えた存在に進化していますね。つまり、男性中心のピラミッド型社会の時代は終わりを迎えているということです。
ここ2000年強の男性中心社会象徴でもあった天皇家がなくなるということではないですが、これからの時代を創る女性性が復活してくる、つまりもう一つの勾玉が活性化して陰陽が統合されていくということを意味していると考えられます。
さらに言えば、今まで天皇家など神事を司る人達だけが、天意や兆しを受け取るという役目を担っていたものが、普通の人々もスメラミコトのように天意を降ろしてくることができるようになっていくということも表しているように思います。
岩戸が閉じていたこれまでの時代では、仏陀のように大変な修行をしなければ悟れない状態だったのが、これからは皆が仏陀になっていく時代でもあるので、悟りに至り天意のままに動いていく人がどんどん増えていくのではないでしょうか。
そんなお話も含め、大阪中崎町のJun Amanto さんにお聞きしている動画が以下にあります。ここでお話されているように、必然天命に目醒める人が増えていけばよいなと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます!!
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