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めいそう日記〜Day503:小さな世界の話(後編)

1. 瞑想小咄〜小さな世界の話(後編)

鳥羽の離島、答志島を訪れた話の後編。昼食を終えて、私は島内でまだ行ったことのない集落に行ってみることにした。答志島には大きな集落が3つある。今回ワカメの水揚げを見に行った和具という集落、そこから歩いて30分ほどの場所にある答志という集落。そして、和具から山の中を貫く道で繋がっている桃取という集落。これらの集落にはそれぞれ独立した港がある。

前回夏に来た時は、和具を少し見て、主に答志のエリアを散策した。答志のエリアは「マルハチ」と呼ばれる、「八」を円で囲んだマークが家々に描かれているのが特徴で人目をひく。和具と答志エリアは比較的近い場所にあるのだが、桃取は二つのエリアから離れている。離れていると言っても、5キロ未満。徒歩で移動できる距離だし、島の移動メインの移動手段である原付ならあっという間だ。詳しい位置関係は、下記のホームページを見てもらったらわかりやすい。

それぞれが独立した集落とはいえ、近い位置関係なのだから島全体で似たような文化圏になっているのだろうと思いきや、答志で家々に描かれていた「マルハチ」のマークは桃取にはなかった。そういえば、和具から桃取に向かって歩いていた道ではほとんど行き交う島民の姿が見られなかったことを思い出した。これは一体どういうことなのだろう。

答志島を訪れたちょうどその日の夜、縁あって答志島の方と結婚をされたという女性に会った。その女性に私が感じた疑問を話してみたところ、「そうなのよ」とおっしゃっていた。その女性がおっしゃるには、答志島の集落はそれぞれが独立していて、独自の文化圏を持っているとのことだった。それぞれの集落で独自の風習があったり、独自の祭りがあったりするらしい。

小さな島なのだから、もっとお互いの文化風習が入り乱れていると思いきや、実はそうではなかった。お互い独自の文化風習を大切にし、時にお互いをライバル視しながらこれまでずっとこの島の中で暮らしてきたそうだ。

ここで生きる人たちは、時に外の世界と交流をしながらも、自分たちの集落を一つの世界として生きている。そのために、彼らにとってのオリジナリティが過去から未来へと続いているということなのだろう。

オリジナリティを持つということは、確固としたアイデンティティを持つことにも繋がるのではないだろうか。強すぎるアイデンティティは時に排他的になってしまうこともあるが、アイデンティティが欠如してなんでも迎合してしまうよりはよほど健全なのではないかと思わなくもない。一番いいのは、アイデンティティを持ちつつも、他者のアイデンティティを認められる寛容さと柔軟性を持つことだと思う。

今の私たちはどうなのだろうか。自分たちの「アイデンティティ」というものを理解できている人たちはどれくらいいるのだろう。答志島で生きる生き生きとした個性豊かな島民たち。その姿を見ながら、色々と思いめぐらせることがあるのだった。

2. 今日の瞑想〜2023.3.4 Sat 7:35〜(12min)

ほどよく目覚めた土曜日の朝。とりあえず瞑想してから考えよう。

今日はこの誘導瞑想。

横になったままで瞑想の体勢に。誘導の声を聞きながら、まずは意識を自分の内側へ。呼吸をゆっくりと数回。意識を落ち着けていく。

今日は誘導瞑想の割に、あれこれと雑念が湧いてきた。気がかりなこれから先のことを思い出しているようだ。瞑想中は全体的にやや意識が散漫な感じ。最後まで微妙な感じが続き、終了。




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