わたしたちはもう、人間として生きられるかの「ラストマイル」を生きている
これまであまり作品の感想とかって書いてこなかったのですが、感じることがたくさんあったので、言葉にしておきたくてnoteに書くことにしました。
今週、『ラストマイル』という映画を見てきました。
正直、めちゃくちゃ良かったです・・・。
シンプルに映画自体が面白かったけれど、この物語は現実と地続きのお話で、その続きはわたしたちに委ねられたんだなって感じがしました。
わたし、このお三方が手がける作品、大好きなのです。
脚本・野木亜紀子さん
監督・塚原あゆ子さん
プロデューサー・新井順子さん
「アンナチュラル」とか「MIU404」とか。
現実とつながっているような物語で、絶妙な未来予測をしていて、すごくいろんな意味で考えさせてくる。見る人によって、受け取るメッセージが違う。
それらのドラマと同じ世界線でつくられた映画が、「ラストマイル」です。
ラストマイルとは、物流の最終区間を指す言葉だそう。配送拠点から、お客さまに届くまでの「最後の区間」のこと。
でも、わたしは映画を観た後にこの言葉を見て、
っていうメッセージを受け取った気がしたのです。
というわけで、ここからは若干ネタバレを含むので、これから見る方は、ぜひ見た後に読んでください。
これはスクリーンの外でも起きている物語
コロナを経て、物流って想像以上に拡大していて、もうかなり限界まで来ているんだなって改めて感じました。
わたしも都内に住んでいるから、夜ぽちったものが、朝届くことがある。もれなくprime会員だし、楽天でもなるべく送料無料を選んじゃう。
でもその裏で、どんなことが起きているのか。便利と引き換えに、わたしたちが差し出しているものはなんなのか。
全然わかっていなかったなって反省しました。
野木さんの脚本のすごいところって、すっごく時事性があることなんですよね。
そして、それがシンクロニシティを起こしているということ。
例えば、アンナチュラルは2018年冬に放送されたドラマですが、1話では感染症の話を描いています。まるでコロナを予知しているみたい。
そして、今回のラストマイルは2021年初頭に脚本を書いているのに、2024年の物流問題とぶつかっている。
それはきっと野木さん含めこの3人が、今回の人生で、この世界で果たすべき役割をちゃんと受け取っているからなんだなって感じがします。
「やめちゃいましょう!」
満島ひかりさん演じるエレナが放った一言。
最後の最後、事態を大きく動かした言葉。
今この世界で、誰がこの言葉を言えるんだろうって思いました。
去年の夏に訪れたイギリスの大学院大学シューマッハ・カレッジで、創設者のサティシュは「効率性という言葉は、そもそも人間に使うものじゃないんだよ」って言っていて。
今では人材業界で当たり前に使われているHRという言葉も「ヒューマンリソース」、つまり人間を資源として捉えています。
人間は、誰かのための資源じゃない。
あなたは、巨大企業の利益のために動くコマとして生まれてきたわけではないんだよって言われました。
言葉だけを見れば、理想論と言いたくなるかもしれないけれど、サティシュは実践の人であり、行動の人であり、存在すべてが愛の人です。
だからこそ、すごく説得力があります。
じゃあ、誰が「やめちゃいましょう!」って言えるのか。
動くべきは、もっと偉い人たちでしょ?
そう思っていませんか?
サティシュは、憎むべきは人ではなく、それを取り囲むシステムなんだよって教えてくれました。
システムをつくり出したのは人間だけれど、いつの間にか人間はシステムを止められなくなっている。
そして、人間は欲望をコントロールできなくなっている。
けれど、その事実に気づいたなら、行動を変えることはできます。
あなたも今、誰かが用意したベルトコンベアに乗っているという事実に気づいたなら、せめて自分に
「やめちゃいましょう!」
って言えれば、それは新しい未来への尊い一歩なんじゃないでしょうか。
「ひのもと」の意地を見た気がした
アメリカ発の派手な物流産業が生み出した悲劇を、最後「ひのもと」つまり日本の家電製品が救うって、絶妙だなって思いました。
日本人向けの映画だからこそ描けることだと思うけれど、たぶん、わたしたちの先輩たちがつくってきたものって、素晴らしかったんですよ。
緻密に、地道に、心を込めてものづくりに取り組んできた国だった。
それを、海外からの圧力で、スピードや価格競争に負けて、つぶれちゃった会社がたくさんあります。
でも、そういうものづくりが最後に何かを救うことってある。
そういう希望を見せられた気がしました。
それから、岡田将生さん演じる孔が、日本生まれのホワイトハッカーであることも。
日本のレガシー企業のダメなところを詰め込んだようなところで育ってきたと話す彼が、アメリカの巨大産業の闇を暴いていくっていうこと。
そもそも、アメリカの精神で成り立っている物流産業のスキームを、日本の精神でやろうとするのに無理があったんですよね。きっと。
日本のビジネスって、ガラパゴスだって言われるけれど、そのガラパゴスをもっと違う価値に変えていけていたら、もっと現実は変わっていたのかもしれないなと思ったりしました。
グローバルをめざしたことで、失ってしまった多様性はたぶん、たくさんあったんですよね。
1人の影響力は小さくても必ず何かに波及する
この映画を見ていると、巨大な権力に対する個人の無力さを、何度も何度も見せつけられます。
とにかく数字を追いかけさせられる雇われオーナー、配送センターという一見上流で感じる終わりのない絶望、現場経験があるからこそ感じる中間管理職としての板挟みの苦しみ、物流工程の末端で起きている犠牲の皺寄せ。
あれ、この映画の世界で幸せを享受してるのは誰なんだっけ? とも。
その一方で、わたしは一人の存在が与える影響力の大きさも感じました。
2.7m/s → 0
70kg
一人の想いが誰かに届いて、時間をかけて誰かの心を動かして、その先に周りを巻き込んで、大きな力になることがある。
人間は、みんなつながっていて、一人ひとりちゃんと役割があります。
自分という存在を受け入れて、自分の幸せを知っていて、周りに頼ることができれば、きっと世界はちゃんと調和するはずなのに、なぜか今、みんなが切り離されて苦しみの連鎖の中で生きている。
ちなみに、わたしがMIUで一番好きなメッセージは、ルーブ・ゴールドバーグ・マシン(ピタゴラ装置)のシーン。
そこでは星野源さん演じる志摩刑事が、
って言っていたところ。
わたしたちは、それくらい危うい存在で、簡単に加害者をその事件だけで見ることはできないということ。
誰かが、誰かのスイッチになっているということ。
みんな影響しあって生きているということ。
わたしたちも、知らぬ間に犯罪に加担しているのかもしれないし、知らぬ間に誰かを救っていることがあるかもしれない。
人は、消費者として生きると傲慢になる気がします。
以前、椅子研究家である織田先生がこんなことを言っていました。
できれば、創り手として生きる人がもっと増えたらいいなってわたしは思います。
今回のラストマイルも、過去の作品の出演者たちが、わたしたちと同じ時間を生きて、その経過とともに存在しています。
まさに、誰かのバトンが誰かのバトンになったことを、この映画をつくることで見せている、そんな印象を受けました。
どこかで生まれた歪みは、必ず全体に影響する。
けれど、小さな希望も必ずいつか、世界を照らしていく。
それを、常に意識していないといけないよなって思うのです。
「あなたが本当に欲しいものは何?」
この映画では、この言葉がすごく恐ろしい言葉に聞こえます。
わたしもマーケティングの職歴が一番長くて、まさに直近所属していた部署ではブラックフライデーが一番の商機でした(無形商材なので物流工程は詳しくないけれど)。
本来マーケティングって、「それを必要とする人に、適切な方法で、その情報を届ける」ということだと思うのですが、
今のほとんどのマーケティングって、「(本人が必要かどうかは関係なく)人間の欲望を煽り、需要を生み出して、あまり考えさせずに購入させる」ことを目的にしていたりします。
もうみんな、広告見るの嫌じゃないですか?
ページを開くたびにポップアップが出てきたり、興味がない動画が勝手に再生されたり。
けれど、誰も止められない。
本人はスルーしているつもりでも、人間の脳は情報を拾っていて、情報が多すぎると、人は思考することを止めます。
そうすると、思考停止で生きることになります。
思考停止した脳は、簡単に洗脳されてしまいます。
ChatGPTも便利だけれど、使い方によっては、思考停止を招くツールです。
今目の前に起きている状況をちゃんと見ること。
自分の頭で考えること。
心が感じることを無視しないこと。
こういうこと、忘れちゃいけないなって思っています。
そして、欲しいものではなく、「本当に大切にしたいこと」をちゃんと自分の中に持っていないといけないよなって思うのです。
もう、わたしたちのままで生きようよ
と言いながら、わたしもどこかで、生産性の低い自分に焦っていたんですよね。
新しいものを生み出すときって、「目に見える」変容はどうしても少ない。
けれど、「目に見えない」変容はたくさんたくさん起きていて。毎日毎日新しいことに気づいて、感動したり、涙したりします。
わたしは少し前までどちらかというと「ホワイトパス」の人間でした。ある程度名前の知られた企業に勤めていて、「上流工程」側に立っていました。
けれど一方で、この社会に無理やり適合して壊れていく人たちも、少なからず目にしてきました。
これだけ歪みがあるのに、みんな見て見ぬふりをしている。
それって本当に、わたしたち全員が望んでいるものなんでしょうか。
わたしは、ベルトコンベアを自分から降りました。
確かに、どこに向かうのかはわからなくなったけれど、そこには希望を持って生きている人たちがちゃんといました。
会社員を辞めて気づいたのは、自分という人間をちゃんと価値に変えていく方法を見つけていくのが、人生なんだなっていうこと。
以前、わたしの友だちが教えてくれたこと。
もう、わたしたちは、わたしたちのままで生きてもいいんじゃないかなって思うのです。
人間が人間らしく生きるためにはもっと時間が必要なはず。
みんな自分の人生について考える時間なんてないって言うけれど、人生について考えること以上に大切なことなんて、本当にあるんでしょうか。
わたしたちの、本当のペースを思い出してほしい。
あたたかな温もりのある世界を取り戻したい。
わたしたちが、最悪の結末を迎える前に。
そんな3人のクリエイターの思いを見た気がしました。
そして、それはみんなで実現していくことなんだよっていうバトンを、確かに渡された気がしました。
「生きてる限り、負けないわよ」
「生きてりゃ何回でも勝つチャンスがある」
わたしたちは、今を、生きている。
そのことを、思い出させてくれる映画でした。
まだ見ていない方は劇場へぜひ。