オタ歴論争
新規古参の論争はオタク文化には根強い。
電車に揺られながらTwitterをみてるとき、わたしの中で納得いく結論が出ないかなとふと考える。
結局は、好きになるのに歴は関係ないとは思うんだけど、新規は新規なりに背景や歴史を知ることは大事で、好きという点だけじゃなくて線で繋がっていることが分かるとグッと楽しくなって、そこから先の未来も楽しくなるだろうし、古参は気持ちを共有できるホーミーが増えたと言うところに、広く愛を感じてほしい。新規も古参も、歩み寄りが必要なんだと思う。
…そうなんだろうけども、わたしは捻くれてるからだと思うんだけど、新規側が悔しくなると言うのは救いようが無いなとも思う。過去に出会えていなかったっていう事実ばかりが突きつけられていて、圧倒的に強い。古参で同じ時間を長く共有してきた人たちって純粋に羨ましくて、その時を乗り越えてきたのってかなり強い結託感だと思うんだよね。
リアルな人間関係でもそう思うこともある。気の合う友人や好きな人ともっと早く知りたかったとか、出会いたかったとか、悔やむことがあるから。
人生はタイミングというけれど、今までは自分はその言葉を使うことはなぜか忌み嫌ってきたんですけど、
実際この悔しさや圧倒的事実をゆっくり咀嚼していける方法は、ちょうどそのタイミングで出会うべくして出会えたと思って、納得できることなのかもしれない。
どこかのタイミングで、大切な人と出会って、またはタイミングのズレで離れて、なんて自分も経験しているはずなのにどこかで、意地になっている自分がいる。