私を守るために逃避する
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重くて複雑なテーマ、過激な描写の映像作品は
神経や心臓に障るので手を出さない。
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音楽は基本聴けない。
葉と葉がこすれあう音、
生き物の鳴き声、風の音、雨の音などは
耳に入ってもうるさくはない。
電車の走行音も困らない。
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少し離れたところでいささか興奮気味に
話している人がいた。
好きな人と話しているのだな、と思った。
私はといえば必要以上に人と接触しない。
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遠くへ行くことが出来ない代わりに「逃避」を
してきた。
それは私なりの精いっぱいの抵抗であったよう
にも思える。
休みたくても動き続けなければならず、
そうすることでしか自分を守れなかった。
自分を脅かすものすべてを「刺激」として
それらを必死で避けてきた。
嫉妬、憎悪、喪失。
痛み、怖れ、現実。
心に受けた傷がどれほどの時間をかければ
癒えるかなど分からない。
しかし生きている証としての痛みと怖れを
避け続けるのは何か違うと思い始めた。
“自分が得たいものは一生手に入らないかも
しれない。”
何のために生きているか分からなくなっていた。
もう十分苦しいのだから、これ以上は耐え難い。
頭ではいろいろと理解しても心が追いつかない。
いま答えを待たずにすべてを終わりにしても
それはそれとして片付けられる。
だけれど、もう勝手に一人で何かを決めて
行動しない。
私は一人ではないから。
何かする時は周りの人に相談をする。
生きているがゆえの苦しみだって、
あちらの世界にいけば恋しくなるに
決まっている。
であるならば、楽しむほかないのだ。
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