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心ってなんだ?
実家で今借りている部屋がじいちゃんの部屋なので、昔ながらの木で編んだような低い椅子を使っていて尻と腰が痛すぎました。
すぐ帰るからと思っていたのですが、あと2週間くらいはいることになりそうなので、ついにニトリで姿勢を維持するタイプのクッションを買ってきました。
めちゃくちゃ快適です。
で、そのクッションを買った帰り道。
以前、薬を飲んでいると自分でコントロールできない部分が出てくるという話をしました。
昔自分が本気で筋トレしていた時は最大15種類以上のサプリメントを飲み、サプリメント用の冷蔵庫も個別で用意しているほどでした。
その上で減量失敗してガリガリになったんだけど。
ただ、そのサプリメントってやっぱり自分で自分に合ったもの、あった量を調整して自分の目指すものになるためのもの。
まさに自分をコントロールするためのものであって、薬とは似て非なるものであるわけですね。
尻と腰が痛くなってきたから、それを改善するためにクッションを買ったこと
体重が増えすぎないようにランニングをすること
昔サプリメントを使って自分が目指すものに近づけようとしたこと
東京に帰れば痩せられると思っていること
要は身体っていくらでもコントロールができるものだと私は思っているんですね。
たくさん運動をしてきて、筋トレをするにあたって栄養学についても比較的知識があるからというのもあるかもしれないんですが。
当然ケガとか予期せぬものもありますが、早く完治させるために何をするか。というのも色々あるわけで。
ただ、その身体をコントロールすることって全て自分の選択がつきまとうわけじゃないですか。
食事制限が上手くいかない人だっている
運動が続かない人だっている
座りっぱなしで骨盤がゆがんだり身体の調子が悪くなっても放置する人もいる
これをうまくやって自分の理想の身体にすることって自分の意志と感情のコントロールだと思うんですよ。
まぁ私も東京に帰ったらまず最初にピザハットのマルゲリータを食べようと思ってるんですが。
身体をコントロールするために意志と感情をコントロールしている
しかし、私はうつ病になり、仕事中に唐突に号泣したり自分をコントロールできなくなることがありました。
⇒意志と感情は「心」とは別のものなのか?
ただ、号泣って「悲しい」という感情だよなぁ。
うつ病は心の病気だとよく言われますよね。
それでいて心と身体が分離してるみたいな表現もちょくちょく聞く
ただ、そもそもとして心って何なんだ?というところ。
身体をコントロールするにあたって、そんなもう取り乱すほど苦痛に感じたりすることはないわけなんですよね。
スクワットしすぎて吐いたり、VLCDでカロリーカットしすぎてずっとイライラしてた時もありましたけど。
そう考えると心って身体とは別のところにある?
心とは概念なのか?
多分先日読んだ東洋哲学についての本がなければ、恐らくこんなことを考えることもなかったのかもしれないんですが。
結局なにもない。という考え方?
ふと「何物でもないお前たちに告げる」という言葉が出てきましたね。
心ってピングドラム?
ピングドラムの内容ももう忘れちゃったけど。
心がコントロールできるものであれば「心の病気」なんてものは存在しないはずではないか。というお話。
結局これもよくわからないという結論の状態で書き始めちゃったので、文脈がめちゃクチャになってます。
心って他人には一切わからないもので、自分だけのものでしかない。
ただ、認識できるものではない。
まぁでもそれは脳みそとか臓器もそうっちゃそうなんだよな。
確かにそこにあることは知識としてわかるけれども、多分自分の脳みその現物ってどんな状況であれば見ることってないわけじゃないですか。
それに近いもので心も確かにどこかに存在はしているのかしら。
心に関しては形すらわからないものだけど。
昨日から考えてるし、考えながら書いてみたけど結局なんにもわからないまま終わりました。
自分と密接な関係にあるものであるという自覚を持つことが大切なのか、それとも心なんてものはないものとしてなにもわからないものとしていればいいのか。
解釈に大変困る厄介なやつですね。
理解すれば治るのか、そもそも病気として存在しないのか。
考え方一つで人生が大きく変わりそうな、何の答えも見つからない。
それでいいんですかね。これも学ぼうとしたら宗教的な話になりそうなので、学ぶべきかどうかちょっと考えます。
長々と書きましたが、めちゃくちゃな文章になりました。