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一首評:藤原建一「2021年11月13日 日経歌壇」掲載歌
梟の首は真後ろに回るので首斬り役人の顔を見るべし
藤原建一(2021年11月13日 日本経済新聞 日経歌壇 穂村弘 選)
他者の妄執に巻き込まれたかのような気持ちにさせる強さを持った短歌だと思う。
まず、この歌の魅力は「突拍子もなさ」だ。2021年11月13日付の「日経歌壇」に採用されたこの短歌。選者である歌人・穂村弘もその評の中で、次のように書いている。
「梟」の生態から「首斬り役人」への飛躍が面白い。
そう、この、いままでありそうでなかった飛躍が、「首斬り役人」というどきりとさせる不穏な言葉と相まって魅力的だ。
だが、「首斬り」という単語以上に、この短歌を不穏なものにしているのは、三句の「ので」を受けての結句の「べし」だろう。冷静に考えてみてほしい。「あなたは首が180度後ろに回るのだから、斬首される時には、斬る人の顔を見ないといけないよ」……もし、こんなことを言ってくる人がもしいたら、私はかなり怖い。完全に妄執、妄言の類である。
さらにこの短歌が妄執のように感じられるのは、内容だけでなく、形式にもその原因、というか仕掛けがあると思う。それは「字余り」だ。この短歌は定型の「57577」から少し逸脱した「58597」となっている。歌人・奥村晃作が以前ツイートで「四句はキャパシティーの大きな句」と書いていたし、こういう形もありなのだろう。
初句➡六音有り。それ以上に七有り。八以上はまず無い
— 奥村晃作 (@okumura80kousak) September 6, 2021
二句➡八音有り。四四の八音はリズムが弾み、軽くなるので推敲の要あり
三句➡要の句であり、守られるべき。だが、六音、結構ある
四句➡キャパシティーの大きな句であり、時に倍の一四音も(迄は)有り
結句➡八音結構あり。下の句八八、結構有り
この、「字余り」によって、「きれいに整えられていない」感、あるいは「思いのままに妄言を吐き出した」感が演出されている、と私は見ている。
では、まるで散文のように書きなぐっただけなのか、というとそうではない。この妄言のような短歌は、頭韻の巧みさによってちゃんと短歌に着地している。
上句では、「真後ろに」「回るので」と「マ」音で頭韻が踏まれている。柔らかめだが両唇鼻音のもつ力強さもある「マ」音。そして下句では「首斬り」「顔を」と「カ行」音による頭韻に切り替わる。まさに切り裂くような「カ行」音。しかも上句での二句で一度「首」という単語が出てきているので、「カ行」音と不穏さの伏線が張られているかのようだ。
定型からの軽い逸脱で妄言のように見せかけつつ、頭韻によって言葉に力強さと攻撃性、そしてなによりリズムを持たせて、読む人の心に送り込み、最後は「べし」で麻痺させ、いつの間にか他者の妄執に巻き込んでしまう……そんな怖くて魅力的な短歌。
それがこの短歌ではないだろうか。