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一首評:藤原建一「2023年8月5日 日経歌壇」掲載歌

絵の中の物音に耳を澄ましをりフェルメールの「牛乳を注ぐ女」

藤原建一(2023年8月5日 日本経済新聞 日経歌壇 穂村弘 選)

よく知っていたはずのものから新たな美を見つけ出すようなうた。

「絵の中の物音に耳を澄ましをり」と上の句まで読んだところでは、読み手の頭の中にはなんとなく、印象的な音が聴こえてきそうな古今東西の絵画が浮かぶはずだ。

例えば、ルノワールの『ピアノを弾く二人の少女』。例えば、ブリューゲルの『雪中の狩人』。例えば、葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』……

しかし、続く下の句で出てくる絵画の名前、フェルメール『牛乳を注ぐ女』に読み手は少し驚く。牛乳を注いでいる様子は確かに記憶に残っているが、印象的な音を感じたことは、あまり私の記憶にはない。

フェルメールの絵といえば、この『牛乳を注ぐ女』や『窓辺で手紙を読む女』あるいは『真珠の耳飾りの少女』などがまず頭に浮かぶ。

そんなフェルメールの絵の特徴としてよく知られているし、観た時にまず多くのひとの目を惹くのは、カメラの原型であるカメラ・オブスクラを使って描かれたという説があるのも頷けるほどの、写実的でリアリティのある陰影、窓から差し込む光と部屋の暗がりとの対比だ。

それから、「フェルメール・ブルー」とも呼ばれる鮮やかな青

もちろんこの『牛乳を注ぐ女』にも、このふたつの特徴ははっきりと見てとれる。

しかし、このうたではこれらには注目しない

これらの特徴に囲まれ支えられるかのように、絵の左および下三分の一のラインのほぼ交点の位置にて注がれている牛乳に、その注がれている音に細心の注意が払われる。

このうたを読んでから、改めて『牛乳を注ぐ女』を見てみた。その注がれている牛乳は、記憶の中のそれよりもはるかに細くて驚いた。絵画の中に占める牛乳の面積は想像以上に小さく、だからこそ、この「絵の中の物音」は本当に静かなものに違いない

そこに目が、いや耳がいく詠み手の達見は素晴らしいと思う。

こうしてこのうたを読んでから『牛乳を注ぐ女』を鑑賞すれば、確かに物音が聴こえてくる。読み手の感覚を拡大するかのようなうただ。

最後に、このうたの音について。

このうたにおいて、接続詞や旧仮名遣いとしての「を」をはじめとして、オ行の音が頻出する。母音だけに変換すれば以下のようになる。

eoaao ooooiiio uaioi eueeuouuuu ooouona

全部で35音のうち、「o」が3分の1以上の13音を占める。次いで「u」の8音。これだけで全部の音の60%を占める。

オ行音もウ行音も、こもり気味の音であることから、このうた全体のトーンは静かなこもった印象を与えることになるはずだ。それはおそらく部屋の中で静かに注がれる牛乳の音の印象とリンクしている。

それから音数について。

上の句は五・八・五とほぼ定型に近いのに、下の句に入ると、十・七とでもすれば良いだろうか、かなり長めの四句めと句跨りが現れる。

定型寄りから破調寄りの韻律への移行

それはあたかも、注がれる牛乳がはじめのうちは静かに流れているのに、注ぎおわるのが近づいてきた時に甕を傾きがぶれて、流れが乱れるさまのようでもある。


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