書評:近いものを遠くにえがく|九螺ささら『ゆめのほとり鳥』書肆侃侃房/2018
歌人・九螺ささらの第一歌集。九螺ささらは、神奈川県生まれで、2009年より独学で短歌をはじめた。この歌集と同年に出版した著書『神様の住所』では、Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞している。雑誌「ダ・ヴィンチ」連載の「短歌ください」でも、筆者の短歌がよく掲載されており、そこでの掲載情報を元にすると、おそらく私とほぼ同世代である。
この歌集に収録された短歌を読んでいて、私がひとつ体感したことは、「わからない短歌はほとんどわからず、共感する短歌はわけの分からんほどのレベルで共感する」という現象である。共感・非共感の二峰性だ。もちろん、読み手である私の力量不足も大いにあると思う。思うが、私なりにその理由を考えてみた。
筆者は「近いものを遠くにえがく」ことを得手としているのではないだろうか。自身にとって近しいもの、それは例えば身近な食べ物であったり、肉体であったり、病であったりするのだろうが、そういったものを、遠い言葉で描いていった時に生まれる、独特の硬質な浮遊感が、読んでいて気持ちが良いのだ。それは単に突き放して描く、ということとは異なる。例えば、巻末で解説の東直子も取りあげているこの歌。
独房の我の裸体の窓である穴がだれかとつながる弥生
私の(広い意味も含めての)性別では、この感覚は(いまのところ)全然わからない。にも関わらず、この自身の肉体に対する遠い描き方に、「あああ、そうなのかあ」と思ってしまう。女性側の快楽と安寧がなんだかわかるような気がしてくる。
おそらくは、筆者にとっての対象への近さと描き方の遠さのバランスが、詠み手の私のそれと合致した時に、「わけの分からんレベルでの共感」が生まれたのではないだろうか。
だからだろうか。「フェルマータの意味は『バス停』」と題された短歌群。「お題:音楽」で書かれたかのような短歌たちだが、おそらく私が音楽および音楽にまつわるものが好きすぎるから、つまり音楽への距離が近すぎるからであろうか、ほとんど心が動かなかった。
閑話休題。上に書いた「硬質な浮遊感」は、おそらく筆者の言葉の巧みな選択にも支えられているのだろう。特に「うわあ、これ上手いなあ」と思った歌はこれだった。
(なんだろう、これは…)と呟き1号は自身の涙で錆びついていった
「ロボットやアンドロイドが感情を知る」SFでは定番のエモーショナルな場面。これ、音数的には「1号」のところは、例えば「ロボット」でもいいはず。でも、「ロボット」にしちゃうと説明的になりすぎる。なんなら「ロボット」に限定されすぎてしまって、「アンドロイド」「ヒューマノイド」「AI」……そのほかの可能性が排除されてしまう。「1号」は、その諸々を含意しつつ、ちゃんと「人工的な機械かなにか」であることが伝わる単語だ。
加えて、この語の選択は音の並びの気持ち良さも作り出しているはずである。この歌を母音だけ拾ってみるとこんな感じだ。
anaou, oeaouuai iioua iinoaiae aiuieia
前半は「i」音が全く現れず、後半は「i」とそれ以外の音が交互に現れる。その結節点で「i」音が連続して並ぶ。ふわふわした感じの呟きから、「i」音の連続で緊張感が与えられ、そして後半は「i」音を交えつつ徐々に緩和し遠ざかっていく……そんな音感が読んでいて心地よい。
さて、この歌も含む短歌群「気配、またはあの世の手触り」は、「お題:科学」で詠んだかのような短歌が連なっている。日常の近しいものを、少し遠い肌触りの科学の言葉や思想で詠む歌は、まさに「近いものを遠くにえがく」歌の数々だ。私はこの歌集の中で、この短歌群が一番好きだ。
その中で一つ、読んだ瞬間に思わず叫んだ短歌がある。最後にそれについて書く。
鬱病を乗り越え復職した同僚幾何学模様のネクタイをして
鬱病のひとは、往々にして生真面目さから病状が悪化する。そして、そんな罹患者はその病から抜け出そうとする時、こう思うのだ。「今度こそ失敗しないぞ、今度こそちゃんとしないと」と。
私がそうだったからだ。
そこで選ばれる「幾何学模様のネクタイ」。
物騒な言い方だけど、短歌の歌い手に殺意に近い怒りを抱いたのは初めてだった。「こんなことを歌うなよ!」と。なぜ、ここまで遠い言葉で近しい病を的確に射抜くのか、と。
そんな怒りを抱くほどに共感させられる短歌を生み出す、九螺ささらという歌人は、凄まじい。
追記:これで終わろうと思ったのですが、短歌群「気配、またはあの世の手触り」の中からひとつ、気になった歌を。こちらは気楽な妄想です。
「ルシオラはゲンジボタルの学名」と遺言のごとく先生は言う
私は、これを読んだ瞬間、「週刊サンデー」連載漫画であった、椎名高志の『GS美神 極楽大作戦!!』を思い出したんです。私の世代なら知る人も多いこの漫画『GS美神 極楽大作戦!!』の登場人物、横島忠夫の成長譚でもあったルシオラエピソード。あたかも横島忠夫が年を取ってから霊能力者の先生となり、ある日ふとそんなことを教え子に呟く……そんなシーンを思わず夢想してしまいました。
さあ、この話、誰がピンとくるんだろうか。
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