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一首評:長井めも「2022年1月22日 日経歌壇」掲載歌
さくら公園でさむいさむいって騒ぐひとと底までカップめんを飲み干す
破調であることがとても効果的に情景描写に活かされている歌ではないだろうか。
この短歌、上の句は五七五ならぬ八八六と、かなりの破調だ。それでも「さくら」「さむいさむい」「騒ぐ」と「サ」音で繰り返し頭韻を踏むことによって、破調であっても短歌からあまり逸脱しているようには感じない。
なにより、これを受けての下の句が、きっちりと七七と定型を守っているゆえ、読み終えた時にはさらにちゃんと「短歌を読んだ」と感じることになる(下の句の最初も「底には」と「サ行」音が置かれているので、上の句からの連続性もスムーズだ)。
さて、ではこの構造がどういう効果を生んでいるのか。
上の句が破調によって与えるばたつく感じは、そのまま「公園でさむいさむいってずっと言って騒いでいる(作中主体の)連れ」の騒がしい感じにリンクしている。
そんな連れも、暖かいカップ麺を底まで飲み干して、腹が膨れたからかあったまったからかわからないが、すんと落ち着いたのだろう。騒がしい上の句から、定型を守っていて落ち着いた印象の下の句への変化は、そのままくだんの連れの様子の変化そのものだ。
この短歌は、日常の何気ない風景をそのまま自然にとらえたかのように口語で書かれ、描写されている事柄や意味もわかりやすい。そのわかりやすい交互での描写の上に、頭韻や各句の音数の構成の妙が乗り、より描写が鮮明になっている。それはとても細やかで愉快な一幕だ。
本当に巧みな歌だと思う。