3回目のどう生き(2023/09/10)
今日は起きて洗濯(白物のオキシ漬け)をした後に副業。ず~~~~っと同じやつをやっている。こういう時に実力不足を感じるな。
オキシクリーン漬けについては、次は過炭酸ナトリウム+界面活性剤(食器洗剤)でやってみよう。こっちのほうが落ちるらしい。
9日にきみたちはどう生きるのかを見てきた。3回目だ。1回目を見てから、「きみたちはどう生きるのか」についてつらつらと考えていてて、まだつらつらと考えていたいので見てきた。昨日の日記にも書いたけど、見ているうちに前と感じ方や考え方が変わったりしていって、それが面白いのだ。
今回考えていたのは背景美術の事。他の作品を見て検証したほうが良いんだろうけど、今までのジブリの背景とちょっと違うな~と思った。なんというか……印象派に近い感じ?美術史に詳しい人、どっかで解説しててくれないかな。
緻密に描かず、抜け感があるというか…。
う~ん……これは私が今まであまりジブリの美術に注視していなかったせいかも。
光の表現
美術で気になったところは光の表現だ。
ところどころで光の軌跡を筆のタッチで描いてある描写があった。一番わかりやすいのは、地下の世界の雲。ヤコブのはしごが描いてあった。私は最近のアニメさえあんまり見ていないのだけど、通常ああいった表現は撮影処理されるのが多いと思う。
それが描いてあったのが不思議。
色を変えて光を表現することはあっても、あんなふうに光のタッチを描写するのは私は見た事ないかも。
もう一個、背景美術で気になったのは木刀を持った眞人とアオサギが対峙するシーンの逆光から飛んでくるアオサギ。
あの逆光の描写がなんだか不思議。不思議というか、気になるというか…。
印象と思いつきだけで言っちゃうと「セル時代の撮影方法で撮ったみたいな光」って感じ。
本物の光っぽいというか…。
セル時代の透過光は「本当の光」を撮影していたと思うんだけど、昨今の透過光は「光」ではなくて、(多分)特殊効果の一種というか…。Photoshopで言うところの「フィルター」ではないかと思うんだけど、それとは違う光のように見えた。
風の表現
他で言うと死者の門のところの揺れる草原。
あれ3Dなのかな。
背景美術っぽく見えるのに、風にそよいでいた。眞人やペリカンの動きにあわせて影の輪郭線が変わっていたけど、それが揺れる草と合っていてて、どうやったのかが分からん。スタッフロールに3Dがあったかどうか確認するの忘れた~。
通常、動かす場合は背景美術ではなくて作画になる。そうなると当然背景とタッチが変わるんだけど、このシーンでは背景美術のままで動いていた。
そういえば今回の映画では「感情が昂った時にぶわわ~~っとなる」演出なかったね。……なかったよな?!
音の表現
一番好きなのは屋敷に入った時に「ぎし、ぎし」って足音が聞こえる所。あすこがだ~~~~~いすき!田舎は家が隣接していないので、屋の音が良く響く。父親の実家があんな感じだった。お屋敷というわけじゃなくって、戦前から立ってる木造平屋なんだけど、歩く時に「ぎし、ぎし」って音がするのだ。私が子供のころは夏も涼しくて、廊下はひんやりしていた。
広い家、ひんやりした、歩くとぎしぎしと音が鳴る廊下、たくさん人が歩いてたせいで摩耗して、肌触りがよくなった木造の感じ。ああいう感じがすごく懐かしい。
私が老いた時は、奥多摩とかに木造平屋の家を建てようかな……。無理かな…。
似ているな~と思った絵画
まずはターナー。今見てみるとちょっと違うかな。
レヴィタン。これは前の日記であげていた
で宮崎駿監督が「才能がある」と言及していた画家のひとり。どっちかって~~とこっちのほうが近い感じがする。
石の洞窟を降りていくシーンは井上直久さん(耳をすませばのバロンのシーンの背景美術を担当されたイラストレータさん)だよねえ。
鳥たちの素みたいなところはコクリコ坂のカルチェラタンっぽいな~って思ったんだけど、今改めて見るとちょっと違うな…。
下の世界に出てきた島は、まんま死の島だったねえ。これは割と多くの人が言っているので、おそらく、ほぼ確実にモチーフにしたんだろうなって気がする。というか…まんまかな?
今更だけど、3回目にしてやっとキリコさんの事が分かった。
キリコさんは下の世界から、ヒミ(ヒサコ)が連れてきた人なんだね。もともとの世界にはいなくて、ヒミが下の世界から戻るときに連れてきた人。んで、下の世界のことを全部忘れてしまって、年を取って、眞人と一緒にしたの世界にいったのか。
こういう場合、平行世界の法則によればキリコさんは地下の世界では「2人」存在することになってしまうから、法則にのっとってどちらかが消えてしまうと思うんだけど、人形になることによって免れたのかな?
つらつらと考えているんだけど、私の中できみたちはどう生きるのかは「新しく出会うためには、何かと別れなきゃいけない」っていう感じの物語だな。
例えばなんだけど、すごくお気に入りの服があったとして、その服が大好きなんだけど、体が大きくなってしまって体にあわなくなってしまった。
決してその服に飽きたと言う訳ではなくて、できればずっと着ていたいんだけど、体の大きさにあわない服は着ることはできない。
これから先生きていくためには、自分の今の体にあう服を買わなくてはいけないし、今まで着ていた服にさよならをしなくてはいけない事になる。
それはすごく寂しい事なんだけど、悲しい事じゃない。
新しい服を着ることは、今までのお気に入りの服が無くなる訳じゃない。
大切なものは大切なままで、それでも過去になってしまうのは、どうしようもない事なんだよ。
何かを手放せば、また別の新しいものが手に入る。人生っていうのは、何かと出会い、営んで、別れて、また出会う。その繰り返しなんだ。
そういう物語のように感じた。
また見たら感想が変わるかもしれないけど、次に見るときは…やっぱ最低限でも今までの宮崎駿監督作品見てからにしたほうがいいのかも~!!って思った。
なんか、何も知らないままで見るにはもったいない映画だな。
こ~やって、つらつら考えるのが楽しいのです。私は。
尾張
キェ~~~~~~!!!!
私はもう朝日カルチャーセンターの会員になったほうがいいだろ…。