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振り返れば珈琲元年だった2024年

結局noteではコーヒーについて書くことが
中心になりそうだ。
あまりにも暑苦しい思いはお金を頂いて書くコラムに
不向きだという事を悟ったからだ。

と言うわけで2024年の大晦日は
この一年の自分の珈琲探訪を中心に振り返ってみる。

1年で400件以上!?狂気の珈琲探訪


正確には昨年2023年の11月頃から
全国各地のコーヒー屋さんを巡り始めたので
1年とちょっとな訳だが
それでも400件を越えるお店を訪問した自分に対して
やはりそれなりの異常性と恐怖を感じざるを得ない。

まさか400件全てに関して書こうものならば
2026年の大晦日くらいまでかかりそうなので
今回はその中から思い出に残っているお店を振り返る。

そもそも仕事柄、全国各地でのコンサートを
20年以上もやってきたので
日本の都道府県で行った事のない場所は本当に無い。
しかしながら各地での過ごし方は多少の観光はすれど
基本的にはホテルで寝ていることがほとんどだった。

そう、私は自他共に認める無趣味人間だったのだ。

それが今やコーヒーに心を奪われ
隙あらば、それがステージ本番30分前であろうが
コーヒー屋さんを訪ねる、という常軌を逸した毎日を過ごしている。

決して大袈裟な言い方ではなく
コーヒーを好きになって世界が一変した。

例えば岡山一つとってもそうだ。
そもそもコーヒーの漢字表記「珈琲」は
津山藩の藩医で蘭学者の宇田川榕菴(ようあん)が
考案したのものだと言われている。

そんなコーヒーとゆかりのある街だからか
市内には沢山の素敵なコーヒー屋さんが点在していた。
「コーヒー」に目を向けて街中を歩いてみると
もはやそこは自分が今まで見てきた岡山ではなかった。
全く別の街にすら見える。

つまり、先ほど行った事のない都道府県はない!と
豪語していたもののコーヒーを好きになったせい?で
そんな経験は全てリセットされてしまったのだ。

いま私は声を大にして言おう。
行った事のない都道府県ばかりだ、と。
行きたい都道府県ばかりだ、と。

ちなみに岡山で言えば印象に残っているのは
「UCHIDA COFFEE」さんだ。

その日「UCHIDA COFFEE」さんは
たまたま月1の深夜営業をされているタイミング。
午前0時になろうとする岡山市内は本当に真っ暗だ。
ホテルから20分ほど歩く夜道は
大人の私でさえ心細いものだった。
そんな暗い夜道の先にぼぅっと灯りが見えてくる。

夜道の先に突然現れる暖かな灯り

砂漠のオアシスのような安堵感と高揚感で
胸が一杯になったのを今でも覚えている。
冷えきった身体の隅々に温かいコーヒーが染み込む。
あぁ、コーヒーってなんて素晴らしいんだ。
そんな経験を岡山で噛み締めることができた。

ネルドリップって何だ!?浜松の乱


浜松で初めてネルドリップコーヒーを飲んだ時のお話。
今でこそ様々な淹れ方がある事を知った私だが
今年の初めはペーパードリップすら知らなかった。

毎年浜松市で開催される音楽フェス
「浜松JAZZ WEEK」にお声がけ頂いて演奏しているが
先述の通り、何度も訪れている浜松市も
コーヒー視点で見れば初来訪になるわけで。

この時、たまたま調べて入ったお店が
『きの珈琲さん』だった。
当時はまだまだコーヒーが苦手の部類だった私だが
きの珈琲さんの淹れてくれあコーヒーは
今まで飲んだどれとも違うものだった。

食感がある!?と勘違いするくらい舌触りがあり
かといって舌の奥に留まる苦味は一切ない。
こんなコーヒーは初めて!とマスターにお伝えすると
「ウチはネルドリップで淹れてます」と答えて下さった。

そうか、ネルドリップという淹れ方があるのか!と
この日から暫くネルドリップのお店を探すようになる。

衝撃を受けたきの珈琲さんの
コロンビア サンアグスチン


辿り着いた老舗「茶亭羽當」


ネルドリップのお店を中心に珈琲探訪を続けるうちに
とある事実に気づくことになる。
ネルドリップだからと言ってきの珈琲さんで受けた
感動をまた体験できることは無かった。

そうか、必ずしも「ネルドリップだから美味しい」
と言うわけではないのだ、と気付かされた。
淹れる人、豆の種類、焙煎度合いで
ネルでもペーパーでも同じ味になるわけではない。
自分にとってとんでもなく恐ろしい事実だった。
極論「同じコーヒーには2度と出会えない」
って事になってしまうではないか。

その事実は私を更に深くコーヒーの深淵へと誘った。
とはいえそれでも「ネルドリップ」か否かと言うのは
コーヒー屋さんを選ぶ指針になるのは間違いない。

そしてその指針のおかけで
渋谷にある老舗「茶亭羽當」に辿り着く。
こちらの「モカマタリ」を飲んだ時、衝撃が走った。
あの時浜松で受けた感動が甦った。
それも違う角度から。

茶亭羽當のモカマタリ

きの珈琲さんの淹れて下さったコーヒーとは
またキャラクターも苦味も違うのだが
あのベルベットのような質感は共通していた。
油分が優しく舌にまとわりつき
その上をコクと甘みが通るような感覚。

美味しいと思ったコーヒーは?と聞かれたら
私は間違いなく「茶亭羽當」さんと「きの珈琲」さんの
両店のお名前は挙げさせて頂きたい。

増長する狂気!コーヒー屋さんで働く!


今年の中盤に差し掛かると
いよいよ脳がカフェインでおかしくなったのか
ある欲望に心を支配されることになる。

「コーヒー屋さんで働いてみたい」

常にあの空間に身を置きたい。
どんな気持ちでコーヒーを淹れ、そして
どんな気持ちでお客さんと接しているのだろう。

あくまでも「もしも」の話にはなるが
将来、私がコーヒー屋さんを開くことがあるならば
店員としての経験の有無は大きく未来を左右するはず。

気づけば私はマネージャーの静止を振り切り
14のコーヒー屋さんに履歴書を送っていた。
しかも元来の天邪鬼な性格が悪さをし
音楽の履歴、賞与や海外経験などを一切排除した
履歴書を作った。

私は音楽大学を中退しているので最終学歴は高卒だ。
そして高校生の頃から演奏の仕事で生きているので
それを書かないとなると当然職歴は無しだ。

つまり出来上がった履歴書は
42歳、男性、高卒、職歴なし、と言う
世にも恐ろしい特級呪物となった。

書類選考で13社落ちたものの
1社だけ面接して下さったお店があった。
それがNOG COFFEE ROASTERさんだった。

オーナーの野口さんはとてもアクティブな方で
カフェの経営だけではなくコーヒー機材の紹介や
カフェオープンまでのサポート、そして最近では
バリスタトレーニング施設まで作られていて
私自身、とても尊敬している方だ。

そんな野口さんはあまりにも不気味な私の履歴書に
幸か不幸か興味を持ち「川村竜」で調べてみたところ
私の本業に辿り着き面接の機会を作って下さった。

結果、野口さんの求めた
「音楽で何かコラボできないか」と言う思いと
私の「コーヒー屋さんで働きたい!」と言う思いは
すれ違うこととなり採用されるには至らなかった。

至らなかったが、この出会いをきっかけに
今でも野口さんとNOG COFFEE ROASTERSの
皆さんとは仲良くさせて頂いている。
そしてなんなかんだ結局音楽のコラボもしている。
私の意思の弱さたるや。

NOG COFFEEの野口さんとAYAさん
お店のPVを制作させて頂きました


白金台のコーヒーモンスター伊藤さん


2024年中盤この頃には私のオリジナルコーヒーである
「Piment Coffee」の製作も始まり
更に更にコーヒーの世界へとのめりこんで行った。
このPiment Coffeeのお話はまた改めてさせて頂く。
そんな私に作曲家の田中公平氏が
とあるコーヒー屋さんを紹介して下さった。

白金台の「Kuromimi Lapin」さん。

公平さん曰くここのオーナーの伊藤さんが
コーヒーモンスターだと言う。
ちなみに断っておくがこれは褒め言葉である。

伊藤さんも私と同じくコーヒー嫌いだったと言う。
そんな伊藤さんがコーヒーにかける想いとは。

ご自身がコーヒーを飲めない理由として
欠点豆、つまり痛んでいたりカビが生えている豆を
一緒に焙煎しているからだ、と考えた伊藤さんは
焙煎前にハンドソーティングと言ういわゆる
一粒一粒を手作業で判別する、と言う方法を選ばれた。

そんな気の遠くなるような、狂気とも言えるやり方で
提供される伊藤さんのコーヒーは透明感そのもの。
今でも初めて飲んだ「アダウラブラックハニー」の
衝撃を忘れることは出来ない。
その感動を伊藤さんに伝えようものなら
こちらの、10倍くらいの熱量で帰ってくる。

私は思った。

あ、この人暑苦しい系の人だ、と。

我々の業界では「暑苦しい」は褒め言葉である。
まさにコーヒーモンスターの呼び名に相応しい
情熱と覚悟を持つ伊藤さんとはその後も
私のコーヒーの師匠として
ありがたく関係を続けさせて頂いている。

伊藤さんの淹れて下さった
パナマのブラックムーンV01
今年最後の贅沢


初めてのSCAJ、初めての盗撮


今、国内でのコーヒーイベントは本当に増えている。
私自身、様々なイベントに参加させて頂いたが
国内最大級のイベントであるSCAJの話を
このエッセイの最後にさせて頂こうと思う。

このイベントは国内の様々なコーヒーショップさんが所狭しと出店されていて
普段なら足を伸ばせない場所のコーヒー屋さんも多く
一口あそこのコーヒーを飲んでみたい!と言う方達で
会場は溢れかえっていた。

私自身にとっても、お世話になっている方々と
改めてご挨拶できる場にもなった。

Lonic.の新里さん、haydEnの藤池さん、Acid Coffeeのケンタ店長、SWELL COFFEEの尾崎さん、TAKAMURA COFFEEの馬場さん。

彼らの事もたっぷりと書きたいのだが
それは年が明けたらまた。

そんなSCAJの会場内で突然現れた小柄な女性が
スマホのカメラをこちらに向けて
「ミートさんや!ミートさん!今隠し撮りしてます!」と叫んできた。

こんな堂々と盗撮されたのは人生でも初めてだった。
彼女の名前は石田さやか。
先ほどの伊藤さんがコーヒーモンスターなら
彼女はラテアートモンスターと呼んで差し支えない。

小柄で可愛らしい外見とは裏腹に
日本全国に彼女にラテアートを師事したいという方が沢山いるほどの人気ラテアーティストなのだ。
そんな彼女がいきなり盗撮声をかけて下さるなんて
これはもう光栄の極みだ。

聞けば私のYoutubeのファンだそうで
初邂逅の数十分前には本当に盗撮をしていたらしい。
話せば話すほど驚くことばかりで
私がラテアートを習っていた
TSUBASA COFFEEの千種さんも
なんとさやかさんにラテアートを習っていたと言う。
つまり私はさやかさんの孫弟子だったのだ。

そんな彼女の活動のベースは京都で
普段のラテアート教室も京都を中心に開催されている。
秋口に京都に仕事で行った際も10件以上の
コーヒー屋さんを一緒に回って下さった。

更には今年の12月頭に私の念願だったカフェライブを
EZ TOKYOさんと言う品川のカフェで行ったのだが
そこにもスペシャルゲストとして参加してくださり
私のPiment Coffeeでカフェラテを提供して下さった。

この日のカフェラテの味を
私は一生忘れることはないだろう。


濃密な珈琲元年、来年はどうなる?


どうだろう、ここまで読んで頂いて
2024年は「珈琲元年」と言う呼び名に相応しい年だ
と言うことに異論を唱える方はいないだろう。

正直、全然振り返り足らないくらいの
濃密な時間を過ごしてきたが
来年以降も私のコーヒーライフは続いていくので
またの機会にゆっくりと書いていこうと思う。

今年はとにかく沢山の人、沢山のお店
沢山のコーヒーに出会うことができた一年だったが
来年の活動としては
もちろん新しい出会いにも興味が尽きないものの
それよりも今お話してきた皆さんとの縁を
より深く、濃いものにしていくような
1年にしたいと考えている。

そもそもオシャレなカフェを紹介し続ける
インスタグラマーというのもあまり向いていないので
繋がった人たちとの時間を大切にして
Piment Coffeeもより多くの人に飲んでもらうよう
頑張って広めて行きたいと思う。

そして明確な目標というか
心に強く決めていることがある。

絶対にお店はやらない、ということだ。

私は必死でこの内側から迸る欲望を抑え込んでいる。
マネージャーからも「来年は音楽に集中しろ」
と言われている。わかっている。
お店なんか始めたら私はいよいよ音楽をやめる。
私の音楽を求めてくれている人がいる以上
音楽活動をやめることなどあってはならないのだ。

だがどうして、、、
なぜ私は毎日カフェに良さそうな物件を検索しているか、、、

というわけで思いの外、長くなってしまいましたが
この1年、私の珈琲元年を振り返ってみました。

来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
皆さまのイイネ(スキ)やフォローを頂いて
人気noteクリエイターを目指したいと思います!

それでは皆さん、良いお年を!

ヘッダー画像は
素敵なコーヒー仲間たちとの写真から


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