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バッハ エピソード36 トーマスカントル 兼 音楽監督

 1723年5月22日、バッハ一家はライプツィヒの聖トーマス教会に到着しました。
ケーテン宮廷楽長だったバッハは、この教会の10代目トーマス・カントルとして赴任。バッハ38歳の時です。

下記はライプツィヒに転職するきっかけとなったお話です。


役職=トーマス・カントル 兼 市の音楽監督

新しい職場でのバッハの役割は、
1. 聖トーマス学校で音楽やラテン語、数理問答などの学課の授業を行なう
2. 聖トーマス教会をはじめとする同市の主要な4つの教会に礼拝音楽を提供する
3. それに加えて、同市民のための公的・私的な音楽教育、楽曲提供を担当する
というものでした。
つまり、バッハには、教育者と音楽家の2つの顔がありました。

聖トーマス学校内の官舎の屋根裏部屋には 50人強の寮生がおり、バッハら教師たちは寮生たちの親代わりも務めていました。寮生たちは経済的には貧しくとも音楽の能力に優れた奨学生たちで、バッハの指導のもとで教会での礼拝音楽を演奏するほか、市民の冠婚葬祭などで歌う仕事もしていました。
バッハも15歳の時、同じように奨学生としてリューネブルグの聖ミカエル教会で過ごしましたね。

学校の授業

1日の時間割
5時:起床(冬季は6時)
7時:授業
11時:昼休み
12時:授業
18時:夕食
21時:学寮の就寝

ラテン語・音楽の授業を受け持つことになったバッハですが、音楽の授業を一部代行してもらい、週7時間、月、火、水の9時、12時、金曜日の12時から1時間ずつ、学校の講堂で音楽の授業をしました。必修科目で一度に50名以上の生徒に教えるため、音楽専攻の上級生のなかから4人をアシスタント指揮者に任命し、バッハ自身は高学年の少人数のグループを教え、それをほかの生徒たちが見学する方法をとりました。また、ときには彼自身の演奏を聴かせたそうです。

毎週1曲 教会カンタータを作曲

音楽監督としての主な仕事は、市内の主要な教会における日曜日と教会暦の祝日の礼拝時の音楽、すなわち教会カンタータを、聖トーマス学校の生徒たちや街楽師とともに演奏するというものです。
そこでバッハは、教会カンタータを、1年で60曲✕5年間分(約300曲)を作曲しておこうとしました。
音楽の授業に加えて、毎週1曲新しいカンタータを作曲してパート譜を作成、生徒たちの合唱団や街楽師らから成る器楽アンサンブルに練習をつけて日曜日に本番。さらにクリスマスや受難節などの祭日の教会音楽や、世俗の公的・私的さまざまな音楽の作曲と演奏。その合間を縫っての声楽や器楽の個人レッスン。
超人的なスケジュールですね。

バッハ研究者によれば、ざっと計算しても1日に15時間から16時間の長時間労働。
睡眠時間は4〜5時間くらいでしょうか。
音楽の仕事としてはやりがいのあるものだったに違いありませんが、この超ハードワークをこなせるとてもパワフルな人だったということがわかりますね。


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