見出し画像

バッハを聴く マタイ受難曲

バッハ・コレギウム・ジャパンによる《マタイ受難曲》を聴きに行ってきました。
2月に《ヨハネ受難曲》を聴き、3月末、「いよいよマタイだ!」と期待と不安が入り混じった緊張感を持って席につきました。

《マタイ受難曲》の実演に接した人は一様に「感動した」と言う作品だそうです。
果たして、今日はどうだろうか?


《マタイ受難曲》は

1727年4月11日、バッハ42歳の時にライプツィヒの聖トーマス教会で初演されました。たくさんの作曲を経て、いちばん脂の乗っている時期であったと言えます。

68曲の独唱や合唱で構成され、演奏に3時間もかかる大作です。
歌詞は新約聖書・マタイ伝に基づいて創作されたもので、イエス・キリストが十字架の上で死を迎える受難の物語が描かれています。
曲は2部構成となっており、第1部はイエスを逮捕する策略から始まり、イエスが捕縛されるまでが描かれ、第2部では、イエスの裁判から磔刑、埋葬までが描かれています。
曲の展開は、福音書の流れに沿っていますが、コラール(讃美歌)や自由詞からなる楽曲も交え、立体的に構成されており、これはバッハの受難曲の特徴です。
編成も独特で、独唱、合唱、器楽をすべてを2つに分けた編成となっています。そのため、ヨハネ受難曲の倍近い人数で構成されていて、両者が対話をしたり,一方が他者を注釈したりと立体的な効果を出しています。

オルガンとチェンバロを境に左右2つに別れています

これだけでも、
「なんだかすごそうだ!」

いよいよ始まりました!(緊張)

冒頭の重々しい悲痛なメロディは徐々に波打ち、合唱という大波が私を一気に飲み込んで海中に連れ込み、この世界観に引き込んでいきます。

キタアーッ!!

やはり、最初から壮大なスケール感の作品であることは間違いないです。

買ったプログラムを見ながら、ひたすらストーリーを追いかけ日本語訳を読みます。

私の中で変化が起きのたのは

後半第2部が始まって間もなくの
39.アリア「憐れんでください、神よ。」

弟子ペテロが三度「イエスを知らない」という有名な場面があります。
死刑にされそうなイエスの仲間だとわかったら、自分も死刑にされるかもしれないと思ったペテロは「イエスを知らない!」と必死で言います。このようなペテロの弱さをはじめから、わかっていたイエス。そんなペテロの罪を自らの罪とする信徒の嘆きを歌った美しい曲です。ヴァイオリンソロによるすすり泣きしているようなメロディも印象的です。

39.アリア(I:アルト)
一悔い改める者に憐れみを一
憐れみたまえ、わが神よ、
わが涙のゆえに。
 どうかご覧ください、心と目が
 あなたの御前に激しく泣いているのです。
 どうか、憐れみたまえ、憐れみたまえ!

バッハ・コレギウム・ジャパン《マタイ受難曲》2024 プログラムの歌詞より

ここで突然、鼻水がジュルッと出てきてしまい...
えっ??
泣くにはまだ早いでしょう…..
まだ2部の最初なのに〜
と隣のお客さんをチラ見しながら、急いでズズッーと鼻をすすります。

その時、私の頭の中には

バッハが
まるでイエスの死に立ち会ったかのような臨場感あふれる音楽を作り出すために、苦しみながらも書き上げている姿...。

そして、もうひとつは

いきなりですが、メンデルスゾーンがこのバッハのマタイ受難曲の演奏会を開催するために、関係者に交渉して奔走する姿が浮かび上がりました。

二人が生きた時代にタイムスリップし、この曲が生まれるところから100年後の復活までの話がブワーッと走馬灯のように浮かんできたのです。

人間の弱さを表している歌だったので、努力や苦悩という人間らしい部分が思い浮かんだのかもしれません。

そして、次の
40.コラール(合唱)ー主の愛は罪に優るー
にて、その人間の弱さが愛で包み込まれる、
そんなイエスの慈愛にグッときました。

40.コラール(I+I:合唱)
一主の愛は、罪に優る一
たとえあなたから離れても、
私は再び戻ってきます。
あなたの御子は、私達を和解させてくださいました、
その悩みと死の苦痛によって。
私は、自分の咎を拒みません。
しかし、あなたの恵みと慈しみは、
罪よりも遥かに大いなるものです、
わが身の内に絶えず見出す罪よりも。

バッハ・コレギウム・ジャパン《マタイ受難曲》2024 プログラムの歌詞より

か、か、感動!!しました



音楽学者の礒山 雅氏は著書『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』で、《マタイ受難曲》の本質を一言で表す言葉があるとすれば、それは「慈愛」という言葉だろうと語っています。そして、バッハの感情を扱うやさしさについて以下のように語っています。

バッハは、どんなに痛切な感情、恐ろしい出来事を表現する場合にも、そこに呑みこまれて自分を失うということがなく、いつまでもそこに、一種晴れやかな距離を置いている。しかしそれは、一つのものに全身全霊を打ちこめない醒めた人間のやむなく置かざるを得ない距離ではなく、偉大な芸術家が、自己を深く投入しながらも、なおかつ置き得る自覚的な距離、といったものである。それは、自由とよんでもよい。《マタイ受難曲》にあらわれる種々の感情を、バッハは決して生のまま表現せず、つねに、目に見えるような形に鋳直していく。

バッハ=魂のエヴァンゲリスト (講談社学術文庫)  礒山 雅 著



おまけ:このアリアを歌ったカウンターテナーのアレクサンダー・チャンスさん。
彼への拍手の音が倍にも聴こえるほど、観客が酔いしれた美声でしたので、下記の歌声を参照までご紹介します。



今回は、39.アリア「憐れんでください、神よ。」に注目してみました。

この場で聴いた約1,500人の皆さんの感じ方は本当に千差万別だと思いますが、私は普段から音楽を聴いていると、いろいろなビジュアルがブワーッと浮かんできます。
今日は、《マタイ受難曲》そのもののストーリーのイメージというよりは、マタイ受難曲が今に伝わるまでの歴史のようなものを感じました。
1回聴いただけではわからない、まだまだ聴き込んでいきたいというのが今日の感想です。リピーターが多いのも納得できました。こうやってハマっていくのかもしれません。

子供の頃、《マタイ受難曲》にはまって朝から晩まで聴いていたという本日の指揮者 鈴木優人さんの素晴らしい演奏に感謝したいと思います。

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。
次回、《マタイ受難曲》の復活劇についてもお話とイラストを描けたらと思います。


いいなと思ったら応援しよう!