ピアノテクニックのピークはいつか
楽器はテクニックだけで奏するものではないので、必ずしも、完璧なテクニック=魅了する演奏とは限らない。もし完全無欠な演奏を楽しみたいのなら、コンピュータが演奏してくれるので、今は簡単である。
年齢と共に成熟し、奥深くなっていく演奏を楽しむのが、人間の演奏を聴くときの醍醐味だ。同じ音楽家が同じ曲を演奏しても、若い頃と音楽人生を積み重ねた頃では随分違うアプローチをしていることがあり、これは興味深く、大変面白い。フレッシュで際立ったテクニックを惜しげもなく聴かせてくれる演奏も良いが、長年磨き上げてきた、熟成された旨味が味わえる音楽も、とても魅力的だ。
一般に、テクニックだけで言うと、やはりピークは20歳前後になるのではないかと思う。10代後半かもしれない、と感じることもある。スポーツほど年齢に左右される訳ではないが、運動能力の部分は、どう頑張っても年齢と共に少しずつ衰えることは避けられない。ただ演奏家の場合、それは非常にゆっくりであり、それを補う様々な奏法や表現力を身につけていくものであり、こうした第二のテクニックのようなものにより、若い頃より一層魅力を増すことが多い。
しかし純粋なテクニックだけに限ると、そのピークはかなり若い時だ。指の細かい動きを要求されるピアノの場合、例えば管楽器などより早くピークに達するように思う。これは、様々な奏者の、違う年齢における録音を聴いたり、何十年もピアノを弾き続けた方々の感想から推測したりした結論である。
小学生でコンチェルトを演奏しているのを聴いたりすると、この才能と努力は素晴らしいなあ、と思う。しかし心底脱帽だと感じるのは、同じことを70代でこなしてしまう音楽家の方だ。楽器演奏というのは、一度猛練習してマスターすればそれで終わりというものではない。そこからがスタートなのだ。そのレベルを維持するだけでも、最大限の集中力を保ちながら、緻密に、1日何時間も練習と分析に向かわなくてはならない。これを何十年も毎日繰り返すことは、並大抵のことではないのである。
だから熟成された音楽には、時間が凝縮されており、聴衆は、その演奏家と音楽の関わり合いを、音を通して味わうのだ。あの休符ひとつに、消えていく音の中に、膨大な時間が込められているのだ。そもそもクラシック音楽は、大昔から引き継いだものを時間を超えて再現できるところに価値を感じるように思う。人間は何百年も生きることは出来ないが、音を通じて時間を旅することが、クラシック音楽の醍醐味ではないかと思う。作曲家のみならず、演奏家の人生を垣間見ることだって出来るのだ。
自分で演奏する場合、やはりある程度の年齢を超えると、テクニックだけで聴かせるのは難しくなってくる。そんな時は、闇雲にテクニックを鍛え直すのではなく(これは手を壊す危険が大)、アプローチを変えてみるのがおすすめだ。個人的におすすめなのが、ピアノ作品を、弦や管楽器に編曲されている演奏で聴くというものだ。ピアノだけ弾いていると気づかなかったようなフレージング、新しい表現、テンポの取り方など、発見が盛りだくさんである。ピアノ奏者が他の楽器から学べることは多い。お試しください。