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楽譜出版社にもの申す ピアノ教本編

 日本の楽譜出版社は、それは熱心に、次から次へと楽譜を出版している。楽器店から送られてくる冊子には、いつも新刊がたっぷりと掲載されている。けれども大半の楽譜は商業主義丸出しで、一時的に売れればそれでいいという、ヒット曲を集めたり、やっつけ仕事でやったような編曲だったり、編集が雑で、長く使えないようなものばかり。そしてこれだけ大量に出版されていながら、本当によく出来ていると思うものはごくわずか。

 中でも常々不満を感じるのは、子どものピアノ教本が、無駄なほど圧倒的に多く、大人向けに作られた、系統だったピアノ教本がほぼ皆無なことである。初心者、初級者とは言っても、子どもと大人では、脳の発達具合も体の大きさも全く違う。にもかかわらず、そういった教本が少な過ぎる。だから、初級者の大人が、子ども用に作られた教本——例えば、バイエルやブルグミュラーなど——を使わざるを得ない。

 これは本当に勿体ない。まず、大人の手の大きさで、オクターブ未満の和音や音域の狭い曲を弾くのは、返ってやりにくい。手の大きさに合った楽譜を使った方が、よほど速く上達する。大人で「ぴあのどりーむ」など使うことはさすがにないと思うが、バイエルやブルグミュラーは、初等教育科でよく使われるせいか、大人の初級者にも定番だ。小柄でない限り、大人の手でこれらを弾くと、指が余るような感覚になる。

 大人は人生経験が違う。これまでにジャンルを問わず、たくさんの素晴らしい音楽を聴き、それが聴覚に蓄積されている。単純な音形を繰り返しがちな、子ども向け教本を大人が使うのは、平仮名だけの、単調な本を読むようなもの。音楽の基礎を身につけるには、最初は単調な練習が欠かせないという意見もあるかもしれないが、大人にとっては、たまたまその楽器を演奏することに関してのみ初心者だというだけであり、何十年と音楽を聴き続けてきた耳は熟練の域に達している。それなりに複雑な構成や、テンションコードの美しさを理解できる。子ども向け教本は、発達段階に則して作られている。成熟した大人が同じものを使うのは、どう考えても物足りないと思う。

 大人は論理的思考がしっかりしている。感覚で覚えていくより、理論で覚えた方が早い。これはある程度の年齢を超えて外国語を習得する場合、子どものようにただ真似っこして覚えるのではなく、文法ルールに則って勉強した方がよほど効率的であるのと同じだ。子ども向け教本は、子どもの理解力を前提に、習得し易い順に並んでいる。かなり丁寧に説明があり、その後応用練習曲が続くのが定番なので、大人にはくどい。順番も、大人の理解力であれば、小出しにしないで、一気に系統的に習得した方が効率的だったりする。

 「大人のピアノ」とタイトルにあるものは多く存在する。しかしそれらのほとんどは曲集であり、系統的に習得していく教本とは異なる。また超初級者向けではない。本当に一曲だけ弾ければ満足というのであれば、何も勉強せずとも、動きを覚えれば充分弾ける。しかしながら、自分で楽譜を読む、編曲をする、援助なしに独り立ちして演奏を楽しみたいと思うなら、やはり最初は系統立てて学んでしまうのが近道だと思う。何より応用が効くようになるので、楽しさが違う。それなのに、これは素晴らしい!と思うような大人向け初級者教本は皆無。

 ポピュラーピアノに関しては、中級者辺りに向けたセオリーの本は結構出版されているが、やはり初級者向けの教本が少な過ぎる。初級者向けとは、本当に何も知らないところから始められるという意味だ。多くのセオリー本は、既にある程度経験や知識のある人が、身につけたことを確認するのに適しているように思う。最初からわざわざ難しい音楽用語を使わなくても、説明出来る部分はたくさんある。こちらはクラシック教本とは逆で、初級者に対する丁寧さが足りないように思う。これは、クラシックの基礎を身につけてからジャズなど始める人が多い、という事情の反映かもしれない。しかし、全く楽器経験がない場合、クラシック奏法(楽譜通りきっちり弾く)よりも、コード奏法(コードだけ見て即興で弾く)方が、大人には習得がし易いように思う。

 自分が楽譜出版社を立ち上げられるものなら、この辺りのニーズを埋める楽譜を出版する。どうも音楽に関して、初級者中級者上級者という分類が強過ぎて、大人をナメているような気がする。大人の聴覚、経験値、頭脳を下に見過ぎているように感じてしまう。そもそも大人向け教本が圧倒的に少ないのも、大人は趣味でちょっと弾くだけだから、楽典なんて知らないで好きなものだけ弾いていればいいんだよ、という楽譜出版社の傲慢さを感じる。または、大人になってから始めても大した上達はないからそもそも基礎は必要ないでしょう、と思っているのか。

 大人になって楽器を始めるのは魅力的だ。子どもの時嫌々やって数年でやめてしまうのに比べたら、遥かに上手くなる。どうも楽器を始める年齢に対する思い込みが強過ぎるように思う。6歳でピアノを始め、始めるのが遅かったから、と聞くとびっくりする。目的意識のはっきりした子どもと親でないと、それ以下の低年齢で始めても、結局無駄にしかならない場合も多々ある。逆に60歳で始めたとしても、何の問題もないのだ。


 暇な夏休み、出版社が目を向けない大人向け教本を改造しようかと思う。個人的に、ここがピアノ楽譜出版のニッチだと思っている。

 


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