審美的に平均律を受け付けない人は、ピアノは不向きです
合唱などやっている人々から、平均律でしか演奏できないピアノは、よく貶される。すみませんねえ、濁った和音しか奏でられなくて。それ程不快に感じるのであれば、ピアノは聴かないでくださいとしか言いようがない。よく言われるように、ピアノは音を構築する楽器。演奏者は自ら音程を作りだすことができないのである。
ピアノは素人にはいじれない複雑な構造を持っており、自分の楽器も調律師を雇って調律してもらうという、面倒くさく、高くつく特徴がある。全部自分でやってしまう強者もたまにいるけれど、流石にそれは一般的ではない。従って、調律師が整えた音程をそのまま使い、奏者は音を組み合わせる作業をするのみである。ここは少し導音を高めに取ろう、なんてことは出来ない。菅弦楽器奏者からしたら、それを演奏というのか?と疑問に感じるかもしれない。
現在、ピアノを平均律以外で調律してもらうことは、非常に稀なことではないかと思う。また、それが出来る調律師がどのくらい存在するのかもわからない。平均律はどの音程にも大きな歪みを出さない代わりに、全ての音程に均等に僅かな歪みを課す方法だ。近代楽器の頂点とも言えるピアノは、和音の響きを犠牲にして、自由な転調を手に入れ、複雑な楽曲にも対応可能にしているのである。
例えば純正律の響き以外を受け付けない人には、ピアノは不向きである。自分で調律して、古い時代の音楽のみをやる場合は満足出来ると思うが、普通はピアノを弾く限り、平均律を聴き続けることになるからだ。平均律が濁って聴こえるのなら、それはストレス以外の何者でもなく、心身不調になること請け合いである。これは慣れれば平気になるというものではなく、気になればなるほど、ますます耳障りになっていくだろうと思われる。