ねむねむ日記、あるいは本音という建前と本音の違いについて
やはり眠い。このところ22時頃になると耐え難い眠気に襲われて、30分ほど仮眠するつもりが2時間程度寝てしまい、生活リズムがめちゃくちゃになりつつある。寒暖差や気圧的な何かのせいなのか頭も冴えない。ここ数ヶ月、限界に達したまま予定なるものにムチを打たれている感じがする。
近いうちに風邪でもひいて3日ほど寝込みたいな、と思ってスケジュールを確認してみたのだが、そんな余裕はなさそうだった。しかし、パンデミック以降、のんきに風邪をひいていられなくなった。やはり発熱には緊張感が伴う。風邪をひいて寝込むというあの甘美な体験は永久に失われてしまったのだろうか……。
先週の水曜日は三回目の鳥居ゼミだった。連続もののイベントは徐々にお客さんが減っていくものだという刷り込みがあるので、回を重ねていくごとに不安が増す。告知も必死にならざるをえない。しかし蓋を開けてみれば今回も盛況だった。これほどありがたいことがかつてあっただろうか。次回も気合を入れて臨みたい。
昨年末『ケイコ 目を澄ませて』を新宿のシネマートで観た際、たまたま上映後に三宅唱監督のティーチインがあり、せっかくだから残って観覧してみた。観客からの質問に答える三宅監督の話を聞きながら、特段意識もせず「ふむふむなるほど〜」といった調子で、うんうん頷いていたところ、その仕草がわざとらしく映ったのか、隣にいた男性にじろりと見られて、やや恥ずかしい思いをした。
不特定多数に向けて語られている話を聞きながらうんうん頷いてしまうのは癖のようなものである。この癖はおそらく小学生の頃に教師から植え付けられたものだ。その教師がいうには、ちゃんと話を聞いていることを態度で示してほしいとのことだった。我々生徒たちはそれを素直に受け入れたのだった。
鳥居ゼミが開かれるようになり、月に一度人前で喋る機会を得た。そこで思うのは、お客さんにうんうん頷いたり反応してもらえるととてもありがたいということだ。そうはいうけれどお前さん、あまり客席を見ないじゃないか、と指摘する声もあるだろう。おっしゃるとおり。人の目を見て喋るのが苦手だからついついPCの画面やプロジェクターが映し出した画面に目線を定めがちである。
鳥居ゼミは一方的にお客に向かって話し続けるイベントだ。お客さんたちにインタレスティングだと感じてもらえるように心がけている。ここで一つ気になることがある。インタレスティングだと感じたとき、はたして人はそれを態度で示すのか、ということだ。
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