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この声を

 私は、自分の声が好きではない。

 高さは普通だが、抑揚がなく、はっきり話しているつもりでも思いの外、声が通らない。もちろん、大きい声は出せるのだが、そのシチュエーションに合った音量を意識して声のトーンを下げると、途端に聞き取りづらくなる。

 中学生に上がる頃がちょうど声変わりの時期で、友だちからは、潰れたような声の出し方を真似されてからかわれたこともある。もしかしたら、このことがコンプレックスとして意識する始まりだったかもしれない。

 実際に出る声は、自分で思っているよりも醜い。中学生の時に持ち始めた携帯電話で自分の声を録音して聞いたことがある。当時、かなりの衝撃だったことを覚えている。

 話している時に自分がどんな声を出しているのかは、社会人である今でこそ気になったりするものの、学生の頃は特別意識することは少なかった。

 しかし、歌は別だ。歌いやすい音域であればさもあらず、高い声は出ないし、人前で歌えば評価の対象となる。友だちとカラオケに行った時に演奏中止のボタンを押されたことはトラウマとなっている。

 そんな私の転機となったのは、高校生の時に合唱を経験したことだ。人数が足りないということで男声合唱に加わることになった。発声の練習をして、自分に合った音域で歌うことができる。練習を続けていく内に、「良いかもしれない」という瞬間が増えた。

 社会人になってからは、同僚や上司、部下、お客さん等、様々な立場の人と話す機会が格段に増えたし、当然、電話で応対することも多い。そうすると、嫌でも自分の声が気になるのだ。相手や状況に合わせて話し方、声の大きさ、声色、声のトーンなどを意識的に変えてみる。

 もともとが通りづらく、聞き取りづらい声なので、どれだけ強くイメージしても、思った通りの声は出ない。いつも声を出した後に、気持ちが一段落ちてしまう。理想的な声の人に限らず、声を聞いても何の違和感も感じられない同僚達を羨ましく思ってしまう。

 テレビに出る俳優やタレントさんの声を聞くたびに、羨ましく思ってしまう。

 歌のトラウマが和らいだ時のように、どうして良くならないものか。きっかけが欲しい。

 私は、自分の声が好きではない。

 

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