EP3 道を踏み外せ
EP3道を踏み外せ
ここはベルリンではない。
今日は完璧な1日ではない。
確かに俺は生き延びた。
しかし無傷では済まなかった。
じつはこれから書くことが一番書き残しておきたかったことかもしれない。
忘れないうちに、とっとと書いておく。
俺が21歳で生まれて初めて咳止めシロップを一気飲みした瞬間、あの時、約10年後の自分がまさかこんなことなっているとは夢にも思っていなかった。
つまり、脳神経内科に属する進行型の難病患者になって、障害者手帳3級の不自由な身になっているなんてことは。
しかし、今のその困難な生活状況と、約9年間に及ぶ薬物依存との関係性を認める医学的見地はまったくない。
これは科学的根拠とは真逆の個人的因果応報論に過ぎない。
何しろアジアアフリカ園内では10万人当たり4人以下という罹患率だ。
日本ほど国民皆保険制度が行き届いていない国の中毒者が進んで医療機関を受診するとはまず思えないし、データが圧倒的に乏しい。
おっと誤解しないでくれ。
ここで言いたいのは良くある夜廻り○○みたいな元不良の心に沁みる教訓話ではない。
今まさに未開人種の通過儀礼の如く咳止めシロップを唇に押し当てちっぽけな心臓を脈打たせている何処かの誰かさんを思いとどまらせようという親切心はない。
ある日突然自分が余命半年の末期癌患者だと宣告された人の反応は、まず衝撃を受け、茫然自失の思考停止となり、次に怒りを覚えるのだという。
よりによって、なぜ自分がこんな目に。
という運命の理不尽さに対する怒りだと思う。
その怒りに苛まれて苦しむようなことは、俺の場合一切なかった。
すとんと腑に落ちて、納得できた。
あれだけ精神的にも肉体的にも社会的にも悪いことばかり好んで選んでして生きた。
我慢は一切しなかった。
妥協なし。
手加減なし。
その代償だ。
人の輪からはみ出さず我慢ばかりして生きて、それでも難病患者になることだって当然あるだろう。
贅沢なものばかり食べ過ぎインシュリン中毒になった傲慢な老人がハンドルを握る高級車が何の前触れもなく突っ込んできて短い命を終える幼い子供だっている。
俺は何の前触れもなくバランスを崩す。
濡れタオルは瞬く間に鮮血で真っ赤に染まる。
新しいものと交換し、別の乾いたタオルを枕に敷いて寝た。
同僚や上司が強く勧めるので会社から至近という以外は何の取り柄もなく悪い評判しか聞かない整形外科を嫌々受診した。
ホッチキスと同じ要領で後頭部に金属の針を11針も打ち込まれた時の頭蓋骨に食い込むような鈍い音の響きは愉快で新鮮で、今も忘れ難い。
仕事から帰って酒を飲みながら炒め物を調理していると後ろざまにバランスを崩して倒れ下駄箱の角に後頭部から激突した時の衝撃はボクシング歴10年の俺でも一度も経験したことのない不吉なものだった。
恐る恐る人差し指で探ってみると、その指先の感触を通し、包み隠さず言ってしまえば興奮した女性器みたいに濡れた深い裂け目がぱっくり開いているのを確認できた。
見れば手のひらが血まみれになっている。
こうした時、俺みたいに特殊な経験ばかり積んだ人間はいたって冷静だ。
あひゃ。
こりゃ美味しい。
まずは写メだ。
咄嗟に血で汚れていない右手で携帯電話を掴むといいね!な画像を撮るべく角度を変えつつ続けざまにシャッターを切った。
すぐに元妻から返信がきた。
ひとまず濡れタオルを頭に巻いて止血しろ。
あした朝いちばんに整形外科を受診しろ。
素直に従って、生焼けの具材と焼け焦げた具材の混在する炒め物の調理を再開し、酒を飲み干し腹一杯になると、ある種の満足感と共に深い眠りに落ちた。
頭痛はない。
吐き気もない。
意識の混濁もない。
ほら、ここでボクシング歴10年の経験が活きた。
もしも難病患者になり身体の優位性に目覚めなければ、ボクシングという永遠の恋人に出会うことはまず間違いなくなかったはずだ。
自分独自という強迫観念と、向かうところ敵ばかりという無用な警戒心の奴隷になったまま、虚勢を張ったまま、内心怯えながら社会の端の橋の下で生きていただろう。
ほら、巡り巡って良かったじゃないか。
親や学校の教師や会社の上司や友人と名のつくアカの他人の目ばかり気にして同調圧力に押されて本来の自分を見失ってしまわないで。
殺してしまわないで。
いい歳してつまらない猥褻事件の犯人になって、自称アーティストなどと報道されないで。
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