今更気付いてもなかなか修正できないな。

昨夜はなかなか眠れなくて朝まで起きていた。目覚ましも無視して昼前まで寝ていた。

昼から起きて着替えた。好きな服を着れば気持ちが高くなるかもしれないと期待しながら、久しぶりに外に出た。

みんなこの町を田舎だと言うけれど、車も人も多いから田舎と呼ぶにはうるさかった。世界はこんなに煩いんだと改めて思った。

大通りを避けて裏道を通る。畑の間を縫うように進む。畑は低い位置にあるから、道と同じくらいの高さに小屋の屋根があった。

この屋根は登れる、と思った。でも、この屋根に登って飛び降りてもたぶんまだ生きている、と思った。飛び降りたら死んでしまう高さの屋根はなかなか登れない。そうやって私たちは知らないところで守られている。

古本を4冊買った。まだ読んでない本はあるけど、気持ちが少しでも新しくなるなら古本くらい買って良いと心が言ったからそれに甘えた。夕方の古本屋は人が多かった。

帰り道、また畑の間を通った。踏切の警告音が鳴り出して、それを聞いてから立ち止まる。ぼんやりしていたら遮断機が降りて、電車を待つ時間が生まれた。また守られていると思った。いつだって飛び出せるのに飛び出さないのは、まだ制御できているからだ。

体は末端まで繋がって、信号と反応を繰り返して動いている。それで痛かったり、痒かったりという感覚を覚えて体を守っている。

今日はずっと同じ音楽を聴いていた。彼は子どもたちに、良い大人じゃないことを示している。人の習性に違和感を覚えている。

あまりに馴染み過ぎているせいでもう忘れてしまった違和感を思い出させてくれる。私はこういうものだ、と他人が感じる印象は、自分や自分の周りの環境が作り上げた習性でしかない。

もっと世界を疑っていいし、疑うべきなんだ。そうすればもっと真っ直ぐに世界を信じられる気がする。

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