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人生における迷いと夢・・・(迷い)
人生にはいろいろな出来事があり、楽しいことも多い反面、道に迷うことも多いようです。
迷っている時間というのは、瞬時に過去のものとなってしまい、時として過去そのものが迷いの積み重ねになってしまうことがあります。
人間の生活は、常に「過去」「現在」「未来」の三要素によって構成されており、「過去」を捨てて未来へ進もうなどと夢を追っても、なかなかうまくいきません。
なぜならば過去、現在、未来は川の流れのようなもので、川上から川下へ進んでいるわけで、川下から川上へ流れることはありません。
現在をおろそかにして、それが過去となれば川上の水が濁っているようなものです。
川上から濁流がやってくるのに、川下だけを清流に変えたいといって未来へ向かい努力しても、それは空回り、無駄な努力になります。
人間が何らかの形で幸運をつかみたいと思えば、少なくとも自然に、また当たり前のことに逆らわないで進むべきです。
自分自身の過去が濁っていると、人生はいたるところで道に迷い、壁に突き当たり、そこに「あせり」や「無理」が生じ、いつとはなしに不運と言われている世界へ押し流されていくわけです。
あとになって「運が悪かった」などと嘆いても大げさに言えば、すでに人生の敗者という事になってしまう。
そして敗者の過去をたどれば、敗者になるような行為と道の選び方をしているのです。
しかし、そこで人生をあきらめれば、次の人生においてまた迷いが始まることになります。
なぜならば、前に進む人生を「あきらめた」だけで、過去を綺麗に掃除していないからです。
人生に迷わない第一の条件は、自分の過去を常に清潔にして、過去のエネルギーが現在というパイプを通して、未来へ向かえるようにしていなければなりません。
大きい視野でとらえれば、現在の自分を作り出しているものは「何であるか」を、よく認識することです。
まず両親がいます。
また諸々の恩人がいます。
仕事を教えてくれた人や、何らかの影響を与えてくれた諸先輩がいます。
それらはすべて、自分を作ってくれている過去です。
この過去と自分を結んでいるパイプが汚れていないかということで、もし過去の恩恵を忘れていれば、いつの日にか迷いの中に足を踏み入れることになるでしょう。
人生で無駄ということはあまりありません。
それを受け取る側の心の問題です。
もし人生の迷いの壁に突き当たった人は、今日から自分を形成してくれた方々との間の、パイプを掃除してみてください。
おそらく過去に戻ることによって、未来の光明の輝き度合いが違ってくるはずです。
運命学には「未来を見ることは過去の延長を見るべし」という言葉があるぐらいです。
世の中は幸、不幸を自分で決めつけていろいろな人が生活していますが、社会の中で真に営々とした成功を収めている人は、人に言われなくても、過去を「きれい」にしていると考えられます。
いや、「きれい」にしているからこそ、成功への道へ進むことが出来たのではないでしょうか。
運命論以前に、人の行いがモノをいいます。