第9話 不渡手形
2013年10月16日
目の前に座っている財務経理の担当候補の男性とはこの日が2回目の面接となる。金勘定を任せるということは、全てが露わになるということなので、下手に嘘をつくと後々ロクなことにならない。前回の初対面の時から、現在会社の資金繰りは非常に厳しい状況であること、私個人としても仕事が全く回っていなくて死ぬほど困っていることを包み隠さず話をしていた。私より17歳も年上で、優しそうな顔をしたその男性は私からの内定を受諾してくれた。結果的にはこのKさんと出会えたことで、2017年の事業売却、そして2018年の終焉へと、大きく動き出すことになる。
この日の9日前、私は地獄の淵に立った。
2013年10月7日
その日は朝から嫌な予感がしていた。
財務経理の担当者が不在になって5ヶ月。通常の社長業と新規事業のプレイヤー業に加えて、支払い業務と回収管理、そしてそれを組み込んだ資金繰り策定と金融機関対応に追われ、私は心身共に限界に来ていた。
虫の知らせと言うべきか、以前見た記憶を思い出したのかは定かでは無いが、出勤してすぐに何気なく机の引き出しにしまってある振り出した手形帳の耳を見返していたら、とんでもないことに気が付く。
今日決済の手形で、想定していなかった振出手形がある。
元々、今日は手形の決済日で、決済額は3,800万円の予定であった。もちろんそれに向けて手形の割引も行って資金の手当てはしていたので、滞りなく決済は出来るはずである。しかし、想定しなかった手形の額面を足していくとざっと1,900万円。本日の手形決済額は合計5,700万円となり、イレギュラーな支払いが多いこともあるが、通常の月よりもざっと2,000万円は多い。
今朝の段階でメインバンクの残高は約4,800万円。足らない。
他行の預金や定期を全て解約してかき集めても約800万円。手形の決済には100万円足らないし、それ以外の支払いの動きもあるため、あと100万円あれば良いというものでもない。
資金を置いておくための保険契約があり、解約すれば運転資金に充当出来るが、当日中に解約して資金化することは不可能だ。これをさっさと解約しておけば良かったのだが、情けないことに当時の私は会社の正確な資金繰りさえ組めていない状況であったということだ。
8時に出勤してこの間ざっと40分が経った。朝礼が終わった後にすぐにメインバンクの担当者へ連絡を取る。
「大変情けない話だが、私のミスで本日決済の手形がこのままでは不渡りになる。保険契約を担保に何とか本日中に緊急融資をお願い出来ないだろうか」
その足でメインバンクに飛んでいき、再度状況説明。担当者の上司である課長に思いっきりなじられるが、こっちはそれどころではない。こんな業界で手形の不渡り事故を起こしたら終わりなのだ。
とりあえず日繰りベースでの今後の資金繰り計画を正午までに提出し、他行の預金はオンラインでメインバンクに集約。直接行かねば解約できない定期預金は直接出向いて手続きを行ない、その現金を16時までにメインバンクへ持ち込む手筈となった。
すぐに会社に戻り必死に計画を作るが、作っている最中にも先程話をしたばかりの課長がわざわざ来社してきて、「どうしてこんなことになったのか」という「今その話をしている場合じゃねぇだろ、このタコ」と言いたくなる詰めをしてきたので適当にあしらってお引き取りいただき、正午に資金繰り計画をFAX。メールだと手間がかかるのでFAXで送れというところが、この地銀の凄いところだ。
その後定期預金をしていた銀行の担当者には今日の決済資金が足らないという説明をして定期を解約したが、こちらの切迫感は全く伝わらず、呑気な対応をされた。こういうところがこの信金の凄いところだ。
解約した定期預金800万円をメインバンクに持ち込む。保険契約を担保として、奇跡的に900万円が当日稟議の当日融資でOKとなった。融資の書類に署名・捺印、無事に融資が入金され、持ち込んだ800万と合わせて無事に手形は決済。事なきを得たが、帰り道、堀川通りの路肩に車を停めて、私は茫然としていた。
こんな時に限って業界の人間から電話がかかってきたりする。
「まさか、何処かから情報が入ったのだろうか」、そんなことがあるはずもないのだが、恐ろしくなって電話には出なかった。
もう限界だと、心から悟った。
大手で、業績が良い会社の経営は難しい。沢山のリソースを動かして、経営環境が激しく変化する中、好調な業績を維持することは至難の業だ。
では、中小で、業績が悪い会社の経営は簡単なのだろうか。
リソースが無く、業績が悪いということは競争優位性があるわけでもない。且つ、業界がシュリンクしているか、ビジネスモデル自体が賞味期限を迎えているケースが殆どだ。
そんな中、業界のトレンドに逆らいながら会社を立て直し、新しい事業を生み出して伸ばしていく。自分にはそれが出来ると、2006年からの7年間、遮二無二頑張ってきたが、自分にはその能力は無い。この状況のこのキャパの会社を運営していくだけの経営能力は無い。ハッキリとそう悟った。
この後、冒頭のKさんが入社し、メインバンクから温情で資金繰り安定化のための融資も実行されたため、経営は安定した。翌2014年にはようやく新規事業がブレイクし、そこから怒涛の展開が始まっていくのだが、この時に、この会社の経営を離れようと決めてから、実に僅か5年でそれを実現することになる。