『絶対に受けたくない無駄な医療』(室井一辰著,日経BP,2014)(1回)まえがき
【連載の紹介】
室井一辰と申します。この2019年に、『続 ムダな医療』(日経BP)、『世界の医療標準からみた受けてもムダな検査 してはいけない手術 (新書y)』(洋泉社)という2冊の書籍を刊行します。いずれも無駄な医療を撲滅していこうと、米国の医学会が動いている「チュージング・ワイズリー(Choosing Wisely)」という活動を掘り下げた本です。これら新刊の発表を受けまして、より多くの方にこの動きに関心を持っていただきたいと思い、2014年に刊行した前作を連載のように公開してまいります。基本的に毎日ページを増やせればと思っています。よろしくお願いいたします。
【第1回】
まえがき
まずは自己紹介をしたい。
私は東京大学で獣医学を学んだ。もともと工学系コースで学んでいたが、医療や生物科学、いわゆるバイオ技術の盛り上がりを横目に見て興味を持ち、思い切って20 歳の時に飛び込んだのだ。その後、獣医学を深く知れば知るほど人間の医療を考える場面が増えた。
獣医学と人間の医療は別物と思われるかもしれないが、動物医療の視点に立って人間の医療を俯瞰すると、人間の医療の改善に貢献できるところが少なくない。「動物の医療を知らずして人間の医療は分からない」と言っても、大げさではないかもしれない。後に、ある医師も似たようなことを言っていた。
例えば、インフルエンザやHIV(ヒト免疫不全ウイルス)などの感染症はトリやサルの病気に由来している。人の手術のトレーニングにブタを使うのも当たり前だし、人の不妊治療もウシの生殖医療から発達したものだ。当然、人の薬の技術もマウスをはじめとした投与実験による検証なしには実現し得ない。バイオ技術はまず動物の世界で完成するもの。人と動物との医療は密接に関係する。
同時に、獣医学を通して人間の医療には欠陥がある、より具体的に言えば「無駄」があると思うようになった。
そして大学卒業後、獣医そのものよりも、情報提供に取り組む形で社会に貢献していこうと、大手出版社勤務を皮切りに取材者として人間の医療に関わるようになった。
それから10年以上が経った。獣医学の世界に身を置いていたからだと思うが、医師に変に迎合する取材者が多い中で、いい意味で突き放した視点から人間の医療を見ることができたと感じる。その立ち位置をいい形で生かせてきたし、これからも生かしたいと思う。
私のこういった立場は家族や友人、知人にはよく知られており、「医師でもないのに」というのか、「医師ではないからこそ」なのか、病気の相談を受けるようになっている。
最近も、ある方から「身内のガンが見つかった。どういう治療を受ければよいだろうか」と相談を受けた。私は医師ではないので参考になりそうな情報を提供するだけだが、このところ何となく似たような相談が増えていると感じている。
「大腸ガンになって、腹を切る手術を受けることになった。本当に腹を切る手術が必要なのだろうか」
「腰痛があって背骨を切る手術を受けることになった。薬か貼り薬で様子を見るだけでよいのではないか」
「前立腺ガンの検査で陽性になり、前立腺に針を刺す精密検査を受けることになった。不安だ」
「乳ガンのX線を使ったマンモグラフィー検査が陽性で、乳房に針を刺す精密検査を受けることになった。もしかしてガンなのだろうか」──。
命に関わるような病気は個人にとっては大きな事件だ。多くの場合、深刻な状況に置かれるのは想像に難くない。その時に、間違いなく次のように思うはずだ。「意味のある検査を受けたい」「必ず治したい」と。
だが、現実を見れば、患者はいわば、「迷える子羊」になっている。どれが意味のある検査や治療なのか、それを判断するための材料が足りないと言ってもいいだろう。
医療の世界では、慣習、カネ、名誉など様々な事情が絡み、医療に関する正しい情報を届けにくいところがある。場合によっては、正しい情報が見つからないこともある。言い換えれば、多くの無駄が存在し、その無駄が伝えられずにいるということだ。本書を世に出したいと思った強い動機は、そういった現状を打破しようという思いにある。
私は「意味のある検査を受けたい」「必ず病気を治癒させたい」と願う人に、正しい選択肢を見つけるための新しい視点を提供したい。さらに、医療側から医療情報の基盤整備を進める機運が高まるよう促す力の一つになりたい。その一助として、「真に受けるべき医療」、あるいは「絶対に受けたくない無駄な医療」がどういうものなのかを本書でつまびらかにしようと思う。
(第1回おわり、つづく、第2回へ)
*2020年8月9日より、noteについては記事の多くは有料記事として設定。一方で、室井一辰のウェブサイトで記事を公開してまいります。
(Photo: Adobe Stock)