ジェンダー・センシティブな心理療法
「ジェンダー・センシティブ・サイコセラピー」というは最近出会った言葉で、2005年の精神療法という専門誌で特集が組まれていました(『精神療法』Vol.31, No.2)。
読んでみると、まさに求めていたものだ!という内容で感激しました。
しかし、「ジェンダー・センシティブ」という言葉は、検索してもこの特集以外には見当たりませんでした。
「ジェンダー・センシティブ」というのは、ジェンダーに敏感な、ジェンダーに配慮した、という意味です。
まだ全部は読めていないのですが、主にアメリカの家族療法学会などを中心に、当時盛り上がっていた考えのようです。
それが1990年代から2000年代の初めに生じていたにもかかわらず、日本では「ジェンダー・センシティブ」という考えは盛り上がりもせず、定着もしなかったということでしょうか。
実際にどのような考えなのか、ということで、少し引用してみます。
このように、単に女性の問題を扱っているのではなく、問題の社会的な背景や力関係を扱うと書かれています。
そして、困難と向き合うキーコンセプトとして、「現実は社会的に構成されたものであり、それを変えていく力が自分にあるというエンパワーメントの感覚」と書かれています。
カウンセリングをする中で感じていたことが見事に書かれていて、この雑誌に出会えてとても嬉しかったです。
今読んでいる限りだと、ジェンダー・センシティブ・サイコセラピーと言っても、例えば精神分析のように、特定の技法に軸をおいているようなものではないということ。
セラピスト/カウンセラー自身について重視されているのは、「セラピー場面と社会での自分の特権と、自分の言説のもつ政治性について常に検討する姿勢を持つこと」です。
例えばカウンセラーが、家事を「女性がするもの」だと考えている場合と、「女性も男性もしたらいい」と考えている場合とでは、自分ばかり家事をしていることに違和感をもっているクライエントへの対応は違ったものになるかもしれません。
そのことについてカウンセラー自身がどう思っているのか、自覚的になっていることが重要だということは、常々感じるところです。
また、心理療法の理論自体が、女性を母親的な役割、男性を父親的な役割を持つものとしてみているような部分もあるので、いわば性別に役割があることは当然のこととされやすい節もあるでしょう。
改めて、ジェンダーの視点を持って心理療法の理論を見直してみるのも面白いかもしれないと思いました。
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