映画「シン・ゴジラ」レビュー「何故ホラー映画愛好家は『シン・ゴジラ』を『愛さずにはいられない』のか。」(再投稿レビューです。)
僕はホラー映画愛好家だが漫画もアニメも特撮映画も好きだ。
ホラー映画愛好家は100人中100人
ひとり残らず映画「シン・ゴジラ」の事が大好きだ。
それは何故なんだろう…。
ホラー映画愛好家は非常に高い確率で特撮映画愛好家でもあるのが
「一般的な理由」だが,
そうした「一般的な理由」とは別に
「シン・ゴジラ」が好きな「個別的な理由」があるのだ。
「それは一体何なのか」を解説したい。
「シン・ゴジラ」の導入はこうだ。
1.東京湾内に正体不明の無人のプレジャーボートが漂着する。
2.海保隊員がプレジャーボートの調査の為に乗り込む。
3.プレジャーボートはこれから巻き起こる「死と破壊」の前触れであり
その「死と破壊」が首都機能を麻痺させ
首都を世界を滅茶苦茶に破壊させる予兆を感じさせる。
一方ルチオ・フルチ監督のゾンビ映画「サンゲリア」の導入はこうだ。
1.NY湾内に正体不明の無人のヨットが漂着する。
2.湾岸警察隊員がヨットに調査の為に乗り込む。
3.ヨットには「死(=dead=ゾンビ)」が乗っており,「死」が隊員を襲う。
4.ヨットはこれから巻き起こる「死と破壊」の前触れであり
その「死と破壊」がNYの都市機能を麻痺させ
NYを世界を滅茶苦茶に崩壊させて行く予兆を感じさせる。
…ね?「シン・ゴジラ」と「サンゲリア」は「同じ」でしょう?
「シン・ゴジラ」はね…「サンゲリア」なのですよ…。
こんなのさ。
「愛さずにはいられない」のですよ。
映画監督のギレルモ・デル・トロは
「サンゲリア」の大ファンであり
同作のブルーカラーの特典映像に招かれ…
「スキ」の気持ちを炸裂させ…
このヨット漂着の場面を次の様に解説する。
「ドラキュラのデメター号(demeter)みたいに怪しい」と。
勿論解説が必要だろう。
漫画家の平野耕太氏は畢竟の大傑作「ヘルシング」第7巻の中で
「デメター号」を次の様に描写されている。
かつてある吸血鬼が英国にやってきた
自らが渇望する一人の女を手に入れるために
その吸血鬼がのりこんだ帆船は
霧の中を波から波へととび移り
ありえない速度で疾走した
乗組員を皆殺しにしながら
そして遂に死人と棺を満載した幽霊船はロンドンに着港した
船の名はデメテル号(demeter)
ロシア語でデミトリ号である
デル・トロ監督は「サンゲリア」冒頭に登場する
NYに死をばら撒き,死都に変えることを予感させる
「(吸血鬼≒)ゾンビ=DEAD=死」を載せたヨットを
ロンドンに死をばら撒き,死都に変えた
「死と棺と吸血鬼を載せた帆船」デメテル号になぞらえているのだ。
「吸血鬼≒ゾンビ」なる等式には更なる解説が必要だろう。
吸血鬼は血を吸った人間を使役し吸血鬼へと変えるが
ゾンビは噛んだ人間をゾンビへと変える。
映画監督のジョージ・A・ロメロが
映画「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」で発明した
「ゾンビの伝染性」は「吸血鬼の伝染性」が基となっている。
つまりロメロゾンビの本質は「吸血鬼」なのだ。
吸血鬼ドラキュラは貴族の代表であって
ゾンビは命令されるがままに働き続けるブルーカラー(労働者)の代表。
ゾンビの顔色が青いのは「死人であるから」だけではなく
「ブルーカラーだから」でもあるのだ。
デル・トロ監督は
「(ロメロが考案した新ルールでは)ゾンビとは吸血鬼の現代的翻案である」との前提を承知の上で
「ゾンビの乗ったヨット」を「デメター号みたい」と仰られているのだ。
「サンゲリア」が原題が「ゾンビ2」で
ロメロの「ゾンビ」の大ヒットに
あやかりたいかやつりたいで作られた志の低いパチモン映画と
揶揄さる事が多いけれど
「サンゲリア」の脚本家のダルダーノ・サケッティは
ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」の
デメテル号のロンドン着港を感じさせる冒頭を描き,
ロメロの「黙々と働いて来たブルーカラーの反乱」とは
全く違う物語を構築してるのであって
ロメロゾンビと「サンゲリア」とはビックリする程「似ていない」のだ。
「サンゲリア」は!
断じて「志の低いパチモン作品」ではないのだ。
デル・トロは「そのところ」をキチンと「分かってる」のですよ。
つまり「シン・ゴジラ」の事をホラー映画愛好家が100人が100人
「愛さずにはいられない」のは「シン・ゴジラ」から
1.ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」
2.平野耕太の「ヘルシング」
3.ルチオ・フルチ監督の「サンゲリア」
への共感と敬意を見出しているからなんです。
ホラーを愛好するオタクの「スキ」がギュッと詰まってるからなんです。
「シン・ゴジラ」が作られたときの
庵野秀明監督への風当たりは大変強かった。
もうね。
悪感情と言ってもいいくらい。
ソレは一体何故なのか。
先ずねTVシリーズの「新世紀エヴァンゲリオン」の
第25話と第26話(最終話)を
僕もリアルタイムで視聴しましたが「キチンと完結しなかった」。
「僕をどうやって殺すかのスレッドが幾つも立った」(庵野秀明)
次に「エヴァンゲリオン」の新劇場版が「Q」で話が終わらなかった事も
あって庵野監督は「エヴァを終わらせられない」のではないか…。
…との不安と不信感が広がった。
そうした中で「シン・ゴジラ」が作られた為に
「『ゴジラ』の新作を作ってる暇があったら『エヴァ』を終わらせろよ!」
だの
「僕は『シン・ゴジラ』を『ゴジラ』とは認めない」
だのボッコボコに叩かれました。
でもさ。
「エヴァンゲリオン」が「シン」で完結して
「シン・ウルトラマン」「シン・仮面ライダー」を作って
「ゴジラ」「エヴァ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」の
オタクグランドスラムを達成して
庵野監督に対する悪感情が相当軟化して
非常に好意的な意見が見受けられる様になりました。
だからいい加減アニメファン&特撮ファンの皆さんにも
「昔の恨み」を忘れていただいて
「シン・ゴジラ」の事を評価して頂ければと
ホラー映画を愛好する者の末席から祈念して止まないのです。
「シン・ゴジラ」を観ている間中,僕はお腹がキュウキュウ痛み
ゴジラの恐ろしさに畏敬の念すら覚えました。
そしてゴジラが活動停止する様,祈りながら映画を観ました。
庵野秀明監督の「他の何か」の事などどうでもいいのです。
「シン・ゴジラ」が「ゴジラ映画」か否かなどどうでもいいのです。
大体「ゴジラ映画と認めない」って何ですか。
一体特撮ファンとはどれ程偉いのか。
特撮ファンの「認印」がなければ
「ゴジラ映画と認められない」とは
思い上がりも甚だしいわ!
本作は「ゴジラ映画」として素晴らしいんじゃない。
「映画として」素晴らしいのである。
特撮ファンの「認印」など必要ないわ!
「こんなに素晴らしい映画」なのに
何故アニメファンと特撮ファンは
貶すのか僕には到底理解出来ないよ。
ホント。
なんで「面白い映画」を「面白い」と言う
「たったそれだけのこと」が出来ねえんだッ…!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?