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フランス書院ノベルズ マーシャ・マニング著・沢田誠訳「父と娘」レビュー「本を取り戻せ。」

本作品の主人公グラント・ウォーカーは
間もなく40歳となる精神分析医で
これまで勤めていた病院から独立し個人の診療所を開業し
同時に週2日は16歳の娘ローリーも通っている
トラントン女子高校のカウンセリングも開始している。

その際,学区の教育委員会からグラントがカウンセラーとして適任であり
彼が教育委員会の依頼を受けた形となっている。

グラントはベテランで女子高生の悩みの殆どが
ただ話を聞いてあげるだけで自ずと解決する類のもので
彼としては軽いアルバイト感覚でしかない。

「悩み」…カウンセラーは悩みを聞き適切なアドバイスを与えるのが
主な仕事だがカウンセラー自身にだって「悩み」はある。

グラントの悩みとは自身の一物が大き過ぎて
妻であるモリーンから寝室で激しい非難と抗議を受け
ずっと性交渉が御無沙汰となっているというもので
こればかりは誰にも相談できないし相談したところで
何がどうなるものでもない。

そんなある日ベティ・マーロンという娘と同級の生徒が
グラントのカウンセリングを希望しており
彼女の悩みを聞き始めることが
彼自身の悩みを解決する発端となろうとは知る由もないのであった…。

本作品は1971年に発表され
本邦では1983年に沢田誠氏によって翻訳され
フランス書院から発売された官能小説である。

1983年における本書の扱いは大変大らかなもので
一般書籍と一緒に普通に書店で販売されており
立ち読みも自由,購入も自由といった有様で
一応18歳未満お断りの但し書きはあったが
当時17歳だった僕が
店員から書籍の立ち読みは注意されても
18歳未満であることを理由に
注意を受けたことなど一度もなかった。
いやコレ本当の話なのだ。

大学に進学して東京池袋に下宿し
晴れて18歳となった僕は
池袋・三省堂書店で官能小説を
手当たり次第に買い漁り片っ端から読んだ。

あらゆるジャンルの書籍がそうであるように
官能小説にもピンからキリまである。
僕の心を鷲掴みにして離さない
「話に引き込まれ,読ませる」書籍はごく僅かだ。
本書はその「ごく僅か」該当する稀有な一冊である。
1971年に書かれた本が些かも「時代遅れ」とはならず
現在もたちまち海綿体が充血するのである。

大学を卒業して就職した際,三重県鈴鹿で2か月間の新入社員研修を受けた折
本書を実家の自室に置いてきて研修が終わって実家に戻った際,
僕が吟味に吟味を重ねて集めた本が母親によって全て処分されたと
知ったときの落胆ぶりは言葉では言い表せない。

本との出会いは一期一会であって神田神保町で古本屋巡りを
繰り返すものの収穫は皆無であって半ば諦めかけていたのだが
ネット環境の急速な普及が不可能を可能に変えたのである。
ネット通販・ネットオークションで失われた本を買い集め
本書を買い戻したときの歓喜もまた言葉では言い表せない。

本書について難点があるとするなら
装丁が杜撰で直ぐにバラけてしまいそうになる点である。
これは大学生の頃,本書を最初に購入したときからの問題点であり
フランス書院に猛省を促したい点である。

表紙の挿絵は1983年のエロの水準を示し…
帯を外したら…局部が大変精密に描写されており…
とてもお見せ出来ないコトを残念に思う。

官能小説のキモは男女が絶頂に達する際の描写に結晶化し…
「そして遂に最高に甘美な瞬間が訪れた」
という…極めて奥ゆかしい表現で…
近年の成人向け漫画の明け透けな描写に慣れた身の上には
流石に
「寸止めどころか10歩手前で止めている」
といった感慨を覚える。

実際…何が起こっているのかサッパリ分からねえ…。
従って僕が本作品で海綿体を充血させるのは…
直截な性描写ではなく…冷静な思考力を奪う誘惑描写なのだ…。

ただし…コレはマーシャ・マニングの作家性の為せる技もあり…
マニングの本領は娘からの積極的なアプローチに耐える父の葛藤描写にあり
1979年に書かれた別の官能小説では…
「深々と突き入れられたコックが跳ね踊った」
「物凄い奔流を子宮の奥底まで届けとばかりに撒き散らした」
と表現されており1971年と1979年の8年間の絶頂描写の進歩を感じつつも
マニングは寧ろ「ソコ」に至るまでの過程を
尊んでいると思うコトしきりなのである。

その証拠に…ひとたび父と娘の近親相姦関係が成立してしまうと…
マニングの筆致は途端に精彩を欠き…
言い方は悪いが「やっつけ」で続きを書く様になるのである。
「誘惑に耐える男」
の描写こそがマニングの本領であり…
「誘惑に負けた男」
には彼は微塵も関心が無いのだ。

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