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ルチオ・フルチ監督の映画「怒霊界エニグマ」レビュー

女学校に通うケティは容姿はパッとせずオドオドしていて, 普段から親が知的障害者である事や学校の清掃係である事をバカにされていて, 遂に彼女自身の純情まで悪意に満ちたイタズラでからかわれ,皆の嘲笑に耐え切れず逃げ出し,車にはねられて重傷を負い生命維持装置の助けなしでは生きられない昏睡状態に陥る。 彼女は,このまま死を待つばかりを思われたが,彼女の,このままでは死に切れない気持ちが天に通じたのだろうか, 彼女の気持ちが頭脳明晰容姿端麗な転校生エバに乗り移り,同時に魔太郎のうらみ念法の如き超能力をも得たのだ。ケティが乗り移ったエバは自分をバカにしてからかった教師や同級生達への復讐を開始するのであった…。

初めはフルチ版「キャリー」&「フェノミナ」のいいとこどりかなと思って観ていた。 復讐の方法も鏡に映った自分自身に首を絞めさせたり,無数のカタツムリに顔や体を這わせたり,石像に絞殺させたりと多分に悪夢的で,僕の復讐心も満たされたのだが,次第にね,超能力を復讐の為でなく, 恋敵を破滅させる為に使う様になり「恋敵は復讐とは関係ないだろ」と思う様になった。
僕がケティの所業を許容していたのは「いじめられた復讐をしてるから」で所業が復讐の範疇を超えれば話は別のなのである。
またケティが乗り移っている間,エバ自身の人生も青春も「空白」になっているのにエバに対してケティは何ら良心の呵責を感じていない。 そもそも知的障害者でありながら女手一つで清掃係を務めながら彼女を大学に進学させてくれた母親に対する敬意も感謝もゼロなのである。

以上の事実から「素のケティ」は相当人格に難があったのではないかと推定するに至る。 キャリーやジェニファーには持ちえた「同情の念」がケティには持ち得ず,彼女はキャリーにもジェニファーにもなれなかった人間に思えて来た。 ケティの母親は知的障害者かも知れないが娘の性根の悪さを知っていて,娘の凶行が「復讐」の範疇を超えたと見るや「いい加減にしとき」と突っ込みながら, 彼女に引導を渡せる親としての責任能力が十分にある人間として描かれている。 キャリーの母親が娘の成長を頑として認めなかったバッドマザーであったのと対照的である。
これ程立派な母親の身の上や職業をバカにされたなら先ず,母親への侮辱を撤回させるために能力を使うべきなのに, ケティ自身が母親を軽んじていて,そうした気持ちがサラッサラ無い。これじゃ到底同情は出来んなあ。

フルチ版「キャリー」&「フェノミナ」を堪能させて貰った感想は,全く同情の余地が無く, 従って感情移入も出来ない自己中な女の末路を観て,気分爽快となったとしか言い様がない。


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