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マルセル・ヴァルツ監督の映画「ブラッド・フィースト 新・血の祝祭日(2016年)」レビュー「本来父親とは家長であり王(KING)であり専制君主である…今宵狂王が1夜限りの復活を果たすのだ…(再投稿レビューです)」

マルセル・ヴァルツ監督の「新・血の祝祭日(2016年)」は
ハーシェル・ゴードン・ルイス監督の「血の祝祭日(1963年)」の
リメイクであって
クラウドファンディングで制作資金を集めて製作され
舞台を現代のパリに移し,
人肉料理に取り付かれたオヤジ(ロバート・ラスラー)の所業を追って行く。
ハーシェル・ゴードン・ルイスもカメオ出演している。

非常に奇妙な話だが「新・血の祝祭日」を観ていて
僕は「サザエさん」の事をずっと考えていた。

サザエさん一家は磯野波平という雷親父がいて一家の家長であり
殿様であり専制君主であり家事一切の決定権を持っている。
1969年にアニメが放送された当時は
普通に受け入れられていた「サザエさん」が
家族形態の変容に伴って次第に違和感を持たれる様になって行く。

何故マスオさん一家(マスオ,サザエ,タラオ)が義父の家に住むのか。
(何故独立しないのか)
何故波平は威張り腐っているのか。
何故家族は波平(家長)の言う事に絶対服従するのか。
「父親」も家族の一員である以上,他の家族と「対等」なのではないか…。

1963年に制作されたオリジナルの「血の祝祭日」もまた
父親は家長であり王であり専制君主であるとの価値観の下に制作されており,
その価値観をそのままリメイクしようとした
「新・血の祝祭日」を観ていると違和感を覚えるのである。

その違和感は「父親ってそんなに偉くないだろう」という
現代の価値観から生じており
「父親」は家族ってチームの一員であり
父親と家族とはフランクに話せる存在なのだ。

「サザエさん」は現在「時代錯誤」と攻撃される事が多くなった。
その攻撃理由は
「父親だからってそんなに威張るな!」
って反感が根源になっており
「新・血の祝祭日」は全く企まずに
「血の祝祭日」の価値観をそのままリメイクした結果,
「父権の復活を意図した時代錯誤な映画」として顕現したのだ。

「新・血の祝祭日」の「父親」は妻と娘を従わせる為に
飲み物にドラッグを仕込んで判断力を奪ってラリパッパにして
「言いなり」にさせる他無かった。
「現代の価値観」を薬物で麻痺させる他無かったのである。
1960年代のホラー映画を現代に復活させるには
そうする他無かったのである。

「父親」がそうまでして実現させた人肉料理による祝祭日。
その実現方法から導かれる当然の帰結として…
「父権の復活」は1夜限りの夢であり…
「父親」は…薬物でラリパッパとなった妻と娘に
甲斐甲斐しく傅かれ(かしずかれ)…
陶酔の極致に到達した瞬間に…
彼を導いて来た女神イシュタルによって
彼の魂が地獄に引き摺り込まれて映画は閉じる。

磯野波平は…現代に於いて
「家長」の権限を振り回した結果,
「父権」で家族を蹂躙した結果,
「乱心」したと見做されて
地下の座敷牢に未来永劫幽閉される他ないと
示唆されて映画は閉じるのである。

「古き価値観」はそうやって消えて行く他ない。
「古き価値観」はそうやって死んで行く他無いのだ。

座敷牢の中でなら…
何を喚こうと自由自在だよ…
「お父さん」…。

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