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ボブ・クラーク監督の映画「死体と遊ぶな子どもたち」レビュー「アーニャ,こういうコト,いけないと思うッ」(再投稿レビューです。)

ヒッピーにより構成されるアングラ劇団員8人が
とある島で演劇の合宿中にトム・サヴィーニの劣化コピーみてえな
脚本家アラン(アラン・オームズビー)の思い付きで
島の墓場の死体(男)を掘り起こし死者蘇生の黒魔術を試すは
死体にウェディングドレスを着せてアランと祝言を上げ,
そのまま同衾するはもうやりたい放題。

初めは面白がってアランに付き合っていた団員も次第に呆れ始める。

団員内の「不思議ちゃん」ことアーニャ(アーニャ・オームズビー)は
次第に目が据わり始め遂にアランに進言する。

「アーニャ,こういうコト,いけないと思うッ」

先ず本作には「子どもたち」は登場せず
ヒッピーの格好した大学生が出て来るだけです。
つまり「些か以上にトウの立ったヒネた子ども」しか出て来ないのです。

僕は本作を
「まんが日本昔ばなし」か「ゲゲゲの鬼太郎」の説話と受け取ったよ。
村の無軌道な若者が因習を破ってバチが当たる説話。

海外にだって
「死者は敬うべき」「死を軽んじてはならない」って禁忌があり
ソレを破った者にはバチが当たる。
「因習」にも理由や由縁があるのだ。

始めは死者の尊厳をアランがおちょくるのを面白がっていた
「不思議ちゃん」ことアーニャの態度が少しづつ変わり始める。

「アーニャ達…きっと酷い酷い酷いバチが当たるんだ…」
「アーニャ達,仏さまにキチンと謝らないとダメだよ!」
「今からでも遅くないから」
「仏さまを棺に戻して埋め直そう?」
「アーニャ怖い!」
「バチが当たるのが怖い!」

アーニャは最初
「『人の心の中の恐怖』はいづれ形となって顕現する」
と予言していて「アーニャの抱く恐怖」の根源って
両親や祖父母から寝物語に聞いたであろう
「死者を軽んずるとバチが当たる」
っておとぎ話であって「鬼太郎」の訓話って大抵
「最近の若えモンは『本当におっかねえモン』がとんと分かってねえ」
で締めていて
地蔵様にションベンひっかけたり
地蔵様のお供え物を食ったりして
ロクでもない目に遭って
「学んで行く」
訳で
アーニャも子供の頃,そういう「怖い話」を沢山聞いていて
もうね。
「良心の呵責」「本能的恐怖」となってアーニャを責め苛む訳ですよ。

終盤島の死者達が次々と甦りアーニャ達を襲います。
コレが「バチ」なのかどうかは分かりません。
ハッキリしているコトは
アーニャはコレを「バチ」だと受け取って
「もうダメだあ」と恐慌状態を引き起こして泣き喚き始めたってコト。

本作が「ゾンビ映画」のカテゴリに分類されるのは
アーニャが主張する「バチ」故なのです。

演出家のアランは
新入りの若い女性団員に枕営業を要求するわ
団員がアランの言う事に異を唱えると
「オマエ明日から失業保険で生きろ」
と恫喝するわの
セクハラ&パワハラの糞上司として描かれ,
コイツの死者の冒涜が最も酷いので
アーニャが主張する特大の「バチ」が当たる事となります。

だからさあ。

本作を観終わると清々しい気持ちになるんだよね。
徹底的に「因果応報」が描かれてるからね。

アランは終盤ダメ押しとばかりに特大の悪行で
さしもの死者達もドン引きする描写がある。

「死者達の方が生者よりも余程モラリストだったのだ!」

と作家の菊地秀行氏は著作「魔界シネマ館」で
本作のレビューを呆れながら締め括られている。

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