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監督・共同脚本クリストファー・ランドンの映画「ザ・スイッチ」レビュー「『エクソシスト』への返歌」

女子高生ミリーが殺人鬼ブッチャーに
彼が強奪した古代アステカの呪いの短剣で刺された事によって
両名の魂が入れ替わり制限時間内に再度
(殺人鬼の魂が宿った)ミリーを短剣で刺さないと一生このまま。

(ミリーの魂の宿った)殺人鬼はふたりの親友に何とか真実を伝え
協力を依頼し(殺人鬼の魂の宿った)ミリーを捜索,発見するも
(殺人鬼の魂の宿った)ミリーは
自分が「ミリー」である事を最大限に生かしこう叫ぶ。

「殺人鬼よ!私を殺そうとしてる!」

基本は男女入れ替わりのドタバタを描き…
(ミリーの魂の宿った)殺人鬼が尿意を催すのだが…
勿論アレが見れないし触れない
「男女入れ替わりもの」の「基本」を押さえた造り。

序盤から中盤はミリーがスクールカーストの最底辺で
同級生女子や男子生徒や男性教師から
日常的にセクハラとパワハラを受けている状況を
殺人鬼が「嫌な奴ら」を片っ端から
ブッ殺してくれる事によって解消してくれる爽快感がある。

キャストン・ニュートンの容姿で…
「卑屈さ」のカッケッラッもッない立ち振る舞いで…
「スクールカースト最底辺」という設定は
みッじッんッもッ納得出来ないけどね…。

ブライアン・デ・パルマが三顧の礼を尽くして
シシー・スぺイセクを主役に招聘して…
「スクールカースト最底辺」
を体現した
オドオド卑屈演技を披露させて
「キャリー」を制作した
気概を学ぶんだよ…クリィィィィィス…。

この話は…
(殺人鬼の魂の宿った)ミリーが
「嫌な奴等」を皆殺しにした時点で
殺人鬼とミリーの魂が元に戻り…
警官やってるミリーのお姉ちゃんが
殺人鬼しょっ引いてハッピーエンド!
…にも出来た筈…

でもそうしなかった…。

何故なら本作の
「言いたいコト」はソコにはないからです。

入れ替わりが戻った殺人鬼が
母親,姉,ミリーの女ばかりの家族の死んだ父親似に描かれ
「お前等には俺(=殺人鬼≒父親=男)が必要なんだ!」
と家に押し入ってイキる殺人鬼の股間を
女3人が団結して蹴り上げる場面で

「ミリーが殺人鬼(=男)にシアワセにして貰って良かったね♪」
って「偽の主題」の背後から…

「いつまでも男に頼っていちゃダメだ」
って「本当の主題」が立ち上がる。

つまりスクールカースト最底辺の地位からの脱却は
ミリー自身によって為されるべきであって
殺人鬼(=男)に助けられてちゃダメでしょって話。

だってキャリーは…男の助けなんか借りずに…
スクールカースト最底辺からの脱却を目指したじゃん…
「嫌な奴等」を自らの力で皆殺しにして…。
オマエもやるんだよセッコ…。

映画「エクソシスト」でリーガンの母親はシングルマザーで
悪魔が憑りついた娘を持て余し
結局最後に神父(=father=父親)に縋る描写で
「シングルマザーに子(娘)は育てられない」
「やっぱり父親が必要」
って主題が立ち上がるけど
その主題に「舐めんなよ!」って中指を立てて見せたのが本作だと思う。
この上なく素晴らしい「エクソシスト」への返歌。

「何言ってんだよフリードキン…」
「何言ってんだよ…フリィィィィィドキィィィィィン!」
「寝言ホザいてんじゃねェェェェェ!」
「このッ…ボケがッ!」

…が本作の「言いたいコト」。

本作に於いてミリーと殺人鬼が「相容れない」理由は3つ。

1.殺人鬼が人殺しでミリーを殺そうとするから
2.殺人鬼が家庭に於いては家父長権を振り回す傲岸な父親だから
3.殺人鬼が女は男に服従すべしと主張する男根主義の化身だから

殺人鬼は
殺人鬼としての本性に於いても
父親としても
男としても
三重の意味で
受け入れられない存在なのです。

ミリーの友人がゲイと黒人で
「殺人鬼に真っ先に殺される!」
ってギャグが作中あるけどミリーも含めた
女,ゲイ,黒人の
「何かあったら真っ先に切り捨てられる」
社会的弱者が団結して状況を引っ繰り返すのが本作の醍醐味。

社会的弱者だから…
黙って踏み付けにされて…
黙って強姦されて…
黙ってブッ殺されて…
黙ってハラワタ引き摺り出されて…
黙って八つ裂きにされればいいと思う…?

例え強姦されてブッ殺されるにしても…
死ぬ程反撃しねえと…
僕は化けて出るよ…
後悔の無い様に強姦されてブッ殺されねえとね…

「最近の映画」なんて…
ひとつ残らずコンプライアンスに屈しやがった
腑抜けのクソだと思ってたけれど…
舐めててゴメン。

滅茶苦茶カッコいいエンディングを観ながら涙ぐんじゃった。

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