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【ブログ】全ての多様性を愛する

皆さん、こんにちは!むらさきあやめです!

今日は5月のnote特集「多様性を考える」についてのブログです。

たまには真面目にドーーーン!

✒多様性

5月のnote特集は「多様性を考える」とのこと。

多様性とはそのそもなんでしょう。

多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。 性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。

Wikipedia

Wikipediaにはこのように書かれていました。

言葉の捉え方はそれぞれですが、ひとつ言えることは「いろいろ」なものが群れをなしているというのがひとつのポイントなのではないでしょうか。

違った人たちが別々の場所に存在していてもそれは個でしかなく、国・街・会社・学校・サークル・家族といった何かの群れ、つまりグループとなったときに多様性という言葉が生まれるのだと考えています。

ひとつは自分と誰か、または誰かと誰かを比べるからでしょう。

比べることによって優劣や善悪や是非といった価値観が生まれます。

そしてもうひとつはグループとなることで人間関係が生まれることでしょう。

複雑な人間関係になればなるほど個人の価値観はぶつかり合います。

✒価値観はひとそれぞれ

こういった価値観ですが、自分と同じという人はいません。

人は生まれた瞬間から環境が異なり、育った過程で得た経験も異なります。

自分と価値観がよく似ていると感じる人はいるかもしれませんが所詮は似ているだけです。

まったく同じ価値観の人はいません。
(普段あまり断定の文章は書きたがらないのですがこれだけは常々、断定しています。笑)

気心知れた友人であっても夫婦であっても家族であっても価値観は違っていて、つまるところ他人なのです。

価値観はひとそれぞれ、という言葉を僕は普段からよく考えます。

自分と同じだと思ってはいけない。

周りの人たちは自分と同じ価値観では生きていないし、自分も周りの人たちと同じ価値観では生きていないのです。

これが多様性なのかな、と僕は考えます。

✒全ての多様性を愛する

僕の好きな言葉で、

全ての多様性を愛する

というものがあります。

「教団X」などを書かれた作家の中村文則さんの言葉です。

小説にもこの言葉は出てくるのですが、つまるところ行動に移すのはなんとも難しいことだと思います。

自分と違う価値観の存在――もしかすると自分に害をなすかもしれない存在を愛することができるかという話です。

難しいでしょう。

小説に出てくるような規模の大きな「害」でなくとも、身の回りにはたくさんの「害」が存在します。

それらすべての価値観を愛するというのは大変なことです。

しかし、全ての多様性に愛を注ぐことは難しくとも、全ての多様性に愛を向けることは可能ではないでしょうか。

例外なく全ての価値観に愛を向ける――つまり「こんなものは認めない」という否定をしないということです。

僕はどちらかというと性悪説よりの考え方をしています。

ましてや自分が聖人のようなできた人間になれるだなんて微塵も感じません。

だからこそこの「全ての多様性を愛する」という考え方に魅かれ、そうありたいと感じるのだと思います。

いつか、今は愛することができない価値観にも、平等に愛を向けることができたらいいな、そんなことを考えています。

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