自殺した両親は毒親だったのか?結論
バイト先の新しい交友関係が新鮮で、また学生の身分ではお金も有り余るくらいもらえるようになり、大学にも行かなくなってしまいました。
これは本当に申し訳ないことをしました。
私立だったので、入学金や授業料のことを考えると、今でも平謝りしたい気分ですが、その時にはありがたみを感じられていなくて・・・。
なので、父が自死を選んだ時に、私の定期預金を勝手に解約して500万円使ってしまっていたのがわかった時も、怒りより、
「大学辞めちゃったこと、これでチャラになったかなぁ〜」
ってまず思ったんです。
それくらい負い目に感じた出来事でした。
生前、何度か「借用書きちんと書くから、お金をお前の預金から出していいか?」と父に確認された時も、「親子なのにみずくさいなぁ」ってどこか寂しく思ったくらいです。
毒親なのかをテーマに書いていますが、うちの両親は教育に関することで私にお金を惜しんだことはありませんでした。
学校に払う給食費や、教材や制服、娯楽のお金などももらえない子もいると聞きます。
「毒親」の定義がそういったことも含まれるとしたら、うちの親は全くそこには当てはまりません。
海外旅行にも連れていってくれたり、留学にも前のめりでした。
そんな恵まれた私が、両親を毒親と呼ぶ資格はない気はします。
実は、大学を辞めるきっかけとなった、深刻な警察関連の問題にも巻き込まれたことがあったんです。
そんな時にも両親は着の身着のまま駆けつけました。
ここで一気に、私の方の親不孝者感が漂ってきましたね😶
切なそうな母親・情緒に欠けた父親
実家に帰らなくなってから、母からの電話に次ぎ、叔母(母の腹違いの妹)からも「帰りなさい。お姉ちゃん心配してたよ」と留守電話が入っていたことがありました。
榊原郁恵さん似の、明るく優しいイメージの叔母さん。
ただ、そんな人にも、母は影で悪口を囁いていました。
おばあちゃんが後妻だったそうで、実の娘の叔母さんにだけより多くの遺産(おじいちゃんの。予想より貯めていたそう)をあげたことに、母は傷ついていて、「あの子だけいっぱいもらってさ」といじけた発言が祖父母と叔母さんに対して多く、
楽しかった祖父母のや叔母の家での思い出が、ある時から一気に嫌なものに変わりました。
子供に言うことじゃないよねってことを、同情してもらいたい母は打ちあけてくるのです。
おじいちゃんが酔っ払いで稼ぎに行かなくて暴力的で貧乏だったことや、後妻のおばあちゃんから愛情を受けなかったこと、そして、私は祖父母の家に幼少期預けられてたのですが、「あの子が来ると暖房費が高くなる」と文句を言われていたことなど。
あれ?私、祖父母に疎まれてたのか?
ってなって、その後あまり出向かなくなりました。
邪魔だったのかなと子供なりに罪悪感が生まれますよね。
なぜか父と口論し、ヒステリックになった際の母が、私の部屋に乗り込んできて、バンっと大きな音でドアを開け、
「おばあちゃんはあんたのほんとのおばあちゃんじゃないからね!!!」と怒鳴られたことがありました。
すごく動揺して、その後に初めて彫刻刀でリストカットをしてしまいました。
おばあちゃんとの絆が一気に壊れた気がしたのかもしれません。
自分だけが知らなくて、自分だけが愛されていると思っていた祖父母なのに、知らなかった一面が、思春期の私にはすごく冷たく刻まれました。
そんなこんなで、叔母さんは嫌いじゃなかったのですが、なんかそういったモヤモヤする背景があった為、留守電には折り返しせず。
母が精神的に辛そうな電話の時に、週に一日だけ帰ることにしていました。
(徐々に月に一日、数ヶ月に一日・・・と更に遠のきます)
その日だけはたまに帰るからか、【ご機嫌の良い時のお母さん】で優しくて、たまにマッサージもしてくれたんですよね。
当時、私にはすごい頭痛があり、孫悟空の輪が締め付けられる痛みってこうだよな?って感覚の激しいものでした。
クリニックにも行きましたが、自立神経失調(つまりよく原因わからんって感じ)と言われました。
首から歯まで激痛になるので、それを自分でもみほぐしていると、母が緩和させようと、首などをマッサージしてくれたのです。
平和に一晩いて、翌日また出ていきます。
母は「帰ってきてくれたんだね」と嬉しそうでしたが、一晩きりのお客様みたいに切なそうな視線を送ってきていました。
この時期のことを思い出すため、母の自殺は私のせいだとずっと感じていて、20〜30代は自責の念に苛まれて苦しみました。
もう「お金だしてあげないからね」とは脅されないし、実家から自由にいなくなれる身の私。
母にはつなぎとめるものがないとわかって、さみしかったんじゃないでしょうか。
派手な交友関係の当時は、たまに帰る両親の暮らしが慎ましやかに感じ、自宅の天井まで低くなったような、なんだか狭く小さい世界に思えました。
学生時代は、親と学校がすべてで、ここで言われた罵詈雑言は私自身の価値をそのまま表していると思い、自己肯定感がほぼ育たず。
けれど、一度外に出てみると、両親はもう権威の象徴ではなくて、単なる中年の男女なのだと、いい意味でも悪い意味でも悟りました。
父は、あまり記憶にないのですが、なんにも言ってこない状態だったと思います。
一度警察沙汰になった際に、二人に手紙を書きました。
喋るのがヘタで、すぐ涙が溢れてくる気質だったので、二人に対して思っていたことを綴ったんです。
ヒステリックだったり、裏表があったりするところが子供として辛いですみたいな内容だったかと😶
母親は「そんなこと思ってたんだね(泣)」みたいな少し情緒がある反応だったのですが、父親は単に「へぇ〜」みたいな雰囲気で、
社会に出た一人の大人として父を見たこの時、「このヒト、あんま人間らしい感情持ち合わせてない人なのかもしれないなー」と失望しました。
だから母をいつも怒らせるんかな?
女性の気持ちを慮るタイプではなかったので、母の神経を逆撫でしまくりだったのかもしれません。
私はいじめられっ子?
なぜ毒親なのか検証の記事を書いているかというと、忘れられない記憶があるからなんです。
私は学校でいじめられた記憶はないんです。
女同士の無視合戦とか、上靴に画鋲が入ってたとか、嫉妬されてコンクールに出した受賞作品が壊されたとか事件はなかったわけじゃないのですが、
「子供ってそんなことやるもんだよね〜」なんて、少し斜に構えた子で、なんとも思っていませんでした。
毎日遊ぶ友達はいるし、学校で孤独を感じたことはなかったような思い出。
ところが、10代後半くらいに何気に視ていた「いじめられっ子たちのドキュメンタリー」で、彼らの体験談を聴き、突然嗚咽するほど号泣してしまったんです。
いじめられた体験を話す彼らは、こんなことを語っていました。
・自分がいる前でわざと悪口を言われた。身体コンプレックスや人格否定など
・身体的な嫌がらせをされた
・わざと無視された
具体的なエピソードを交えながら話す彼らに、なぜかどっぷり共感して泣きじゃくっていました。
「あれ?私いじめられた経験ないのになぜ・・・?」
両親からの扱いがいじめられっ子エピソードに似ていた
後々、自分の激しい感情の揺れを分析してみたら、いじめられっ子たちの体験は、私の家族とのそれに酷似していたから動揺してしまったのではという結論に至りました。
父に、友達の前でわざと、私の身体的コンプレックスをバラしたりバカにして恥をかかされたこと。
両親揃って頻繁に何時間も、私のだめなところをねちねち責められ続けたこと。
私が恥ずべき点と思っていることを、二人で執拗に馬鹿にしてくること。
親戚や他人に私の欠点をふれまわること。
私が実際にはしていないことなのにでっちあげられ、いきなり決めつけられ罵倒されること。
母が夫婦喧嘩する度に「あんたがいなければお父さんと別れられるのに!」「生みたくなかった」といつも言われること。
どれもこれも、たくさんの具体的なエピソードが今でも心に重く残っているくらい。
二人して意地悪だなぁと子供ながらに悲しかった。
でも、彼らは親だから、私がいたらない子供だから、家族ってこうなんだろうと思いこんでいました。
その番組を観た時に、何かが腑に落ちたというか、「あ、私ストレスかかってたんだなぁ」と気づきました。
実家に帰らなければ帰らないほど、私の頭痛は日増しに良くなっていきました。
毒親判定40%
諸々書いてきたものの、自分が大人になって社会に出てみると、彼らは毒親というよりは、
「経験の浅い父母」
に過ぎなかったんだと思います。
(幼児虐待の映画を観ると比較にならないほど過酷だった・・・あれが俗に言う毒親なら、うちの両親はまともです😶)
子供時代ほんと嫌だったけど。
会社を二人で興して、余裕がなかった両親。
初めての子供。
不安定な精神の母親と、デリカシーのない父親。
最悪の組み合わせでいつも喧嘩してしまう。
父の無神経な言葉からの夫婦喧嘩が私の神経もすり減らし、母親のヒステリック度が増して悪循環を引き起こす。
父がもっと女性の気持ちを気遣える人だったなら。
母が温厚だったなら。
私が忍耐強い子だったなら。
母も父も自殺なんて結末を迎えなかったのかなぁ。
三人でキャンプや焼肉屋さんなどに行った思い出がなくて、大人になって初めて友達や彼氏と経験しました。
三人でロイヤルホストでご飯を食べるのが、日曜日の夜の家族団らんだったのだけど、その時も母親が「お父さんは店で一番高いものを食べる」と毎回怒っていた。
家族三人で屈託なく笑いあった記憶が、一つも残っていないのが悲しい。
母の「あんたを産んだせいで自由に生きれなくなった」という言葉がのしかかっているのか、今世一度も子供がほしいと思わずに生きている。
むしろ、子供だけは作っちゃいけないと思って生きてきた。
毒親とは呼べないけれど、悲しい家族だった。