子どもにとって良い環境とは?
子どもにとって良い環境とはどんなものだろうか。
私にとってそれは、多様な経験に触れることができることであり、環境自体が多様であるということだ。
しかし単に経験の量が重要なのではない。その経験を通じて子どもが「好き」という感情を育めることが不可欠でありそのためには親からの適切な後押しが必要となるのだと思う。
私たちはしばしば、「正しさ」を追求することがある。その一方で「正しさ」が反転すると「悪さ」として急に否定されたりもする。いずれにしても絶対的な答えがあるという前提に立っている。しかし、正しさも悪さも、実は多様性を構成する要素の一部でしかない。どちらか一方に偏ることは、結果として多様性を損なうことになる。
環境と一言に言っても、そこには場所以外のものも含まれる。例えばスマホを現代の環境要素として考えてみる。スマホへの依存が問題視されることがあるように、実はあらゆる環境には依存的な性質が伴う。ここで重要なのは、多様な環境に触れることで特定の環境への過度な依存を防ぐことができるという点だ。
このように考えると親の重要な役割が見えてくる。それは、様々な環境や経験を単に提供するだけでなくそれらを有機的に結びつけ融合させることだ。この融合により子どもは多様な経験をより深く意味のあるものとして受け止めることができる。
つまり良い環境とは多様性が存在するだけでなく、それらが目に見えないながらも結びつき調和している状態である。このような環境において子どもは豊かな経験を積み重ねそれらを通じて自分なりの価値観や興味を育んでいくことができるのだと思う。
しかし。どこまでいっても子どもにとって良いことを考えることには親のエゴが含まれる。結局のところ子どもにしかわからない。
子どもとって「良いこと」を対話などを通じて親が子どもから学び、受け取らなければならない。
子どもを無意識的に手段化していないか?子どもの存在自体を目的にできているか?これらの新しい問いは、親や周りの大人が自分をどのような環境に置くのかが問われているのだと思う。
私たちは多様な環境に身を置き多様な経験をできているのだろうか。
価値観に優劣をつけずに何が好きかを感じられるだろうか。
子どもから学ぶ姿勢を持っているのだろうか。
哲学対話のもやもやメモ。
今回は、白いハコで開催する最後の哲学カフェでした。
白いハコは、大人も子どもも多様な経験ができる場所でした。
経験が重なり合う瞬間がたくさんありました。
最後にこの問いをみんなで問えてよかった。