パタン・ランゲージ#9 仕事場の分散
コロナでのリモートワーク文化が浸透して3年目、オフィス街に空き室が目立つ一方で、ちょこちょこと、ワーキングスペースができてきているのも見かけますね。
クリストファー・アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』より「仕事場の分散」についてです。
職住が離れてしまった近代
「家庭と仕事の分離」は、戦後の日本の郊外の歴史でも同じく「職住分離」の社会システムです。国民に持ち家を持たせる、という日本の政策でもありました(税制優遇、都市開発の指針など)。
その結果、都心部から放射線状に伸びる鉄道に沿って住宅が建ち並び、「働くのは男」、「家庭生活は妻の役割」という価値観が育ってしまった。
それらは、社会的課題(男女それぞれの働き方の規範によるワンオペ育児など)として顕在化し、今は、その課題解決に向けて、社会全体で向き合っている過渡期ともいえます。(なかなか解決しにくいけれど)
こちらの建築家・宮脇壇さんによる著書(1998年)では、が「女の家化した日本」「男たちよ、家に帰れ」と日本の住宅事情の課題を指摘しています。日本の社会構造と住宅との関係がわかりやすく、読みやすくまとめられているので、ご興味あればぜひ。
職住一致への道
「仕事場の分散」のパターンでは、仕事は以下のような状況であるべきといいます。
すべての仕事場は家庭から20~30分以内の場所、子どもの徒歩圏内にあり、昼食を自由に家でとるなど、家族との家庭生活を大切にもでき、時には家庭の内部にも仕事場を置けるように。
1985年の本ですので、その後、日本では(おそらくほかの国々も)その理想の実現は至らずにいましたが、コロナの状況において、技術力によりテレワーク環境が整い、街にはシェアオフィス、コワーキングスペースなどの機能が増え、都市部だけでなく地方でも、また、(旅先や休暇先で仕事をする)ワーケーションという新しい働き方も出てきました。
あちこちに生まれる小さな働く場所
まちなかにあるカフェも様変わりして、ノートPCを開いて仕事をする人の多いこと。カフェ側も「電源」を集客の一要素として、電源がつかえる席を設けています。私も便利に使っています。
また、使ってみたらとても便利だったのが、駅に置かれたワークブースです。30分とか1時間くらいのZoomでの打合せに、出先から参加できるのがとても便利。さすがに、カフェでのZoom会議参加は難しいですからね。
それこそ、自分の生活圏のあちこちに仕事場ができたことは、働く場所の選択肢が増えて自由度が増したけれど、その使いこなしには注意が必要とも言えます。また、仕事場には本来「場」と働く人同士の「コミュニティ」という2つの側面がありますが、昨今のテレワークではコミュニティがオンライン上にあるという前提で成立しています。
職住一致ではなく、働く・生活するの一致
「どこでも仕事ができる」ことは、「いつでも仕事ができる」ことでもあり、仕事とプライベートの境界を自身で切り替えないと、ダラダラと仕事が長引くことだってあります。また、従業員がより負荷を感じるような場合は、労働の強化でしかありません。
と、「仕事場の分散」のまとめにあるように、仕事場と家との距離感だけではなく「家庭生活」との関係性が重要なわけです。
思えば、高度成長期に、働く場所も住む場所も足りなかった都市圏では、アレグザンダーの指摘の真逆を推し進めて、大規模なオフィス街と大規模な郊外のベッドタウンを作り続けていたのですね。
働く場所も自分でつくる
そして。かつて、家づくりで「書斎」というとお父さんの憧れ、「物置になっちゃうでしょ」なんて言われることも多かった「家の中の仕事場」ですが、「家族のワークスペース」として必要とされることが増えました(いまは子どもの学習だってリモートです)。
また、街のあちこちにある空き家を街の資源として活用すべく、ワーキングスペースにリノベーションする事例も少なくありません。
与えられる仕事場ではなく、自らつくる仕事場。
そんなフェーズになりました。
住まいや街を考えることは、生き方を考えること。
私自身も働くことと生活することの距離感とバランスをよく考えてみようと思います。
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村上有紀(ムラカミユキ)
楽しい住宅設計を仕事にしています。
40年近く前のアレグザンダーの著書「パタン・ダンゲージ」を再読しつつ、その普遍性をこれからの家づくりのヒントに、気づいたことをまとめています。