そして今日もまた、本を買う
積ん読(どく)本がどんどん増えていく。
これはイカンことなんだ、とずっと思っていた。
もったいないことなんだ、とも思っていた。
だから、積ん読本を減らしていくために、
友人と「黙読する会」をつくって、
毎朝6時30分にclubhouseに集まって、
50分読んで、10分おしゃべりしながら読後感想をシェアしている。
毎日毎日読むから、それなりに本は「消化」できていくんだけど、
メンバーとの感想シェアも楽しくて、
誰かが読んだ本を「いますぐ」読みたくなる。
「いますぐ」読みたいから、買う。
買って、「いますぐ」本を読む。
そうすると、「いままで読んでいた」本は、「ちょっと後回し」本になる。
「いますぐ」読みたい本が割り込む前にも、
「次読むはず」の本があって、
「いますぐ」読みたい本が割り込んできて、
「いままで読んでいた」本が「ちょっと後回し」になったので、
「次読むはず」の本は「ちょっと後回しの次ぐらいに読む」本になる。
これが延々繰り返される「積ん読沼」になってくる。
ああ、と思っていると、
『街場のメディア論』で内田樹さんが、こう書いていた。
「本を読む人」にとっては(略)「今読みたい本」と「当面読む気はないのだが、いずれ読まねばならぬと思っている本」と「読む気はないが、読んだと思われたい本」は等価なのです。
まさにこれ!と膝をバンバンたたいた。
読みたいから買った本なのに、読まないで積んでいることに罪悪感めいたものを感じてきたし、
買ったときには読みたかったんだけど、買ったあとはそれほどでもなくなった本がいくつもあることに自己肯定感を低くしていたし、
いつかは使える日が来るだろうと思って買うこともあって、
これはイカンことなんだ、とずっと思っていた。
もったいないことなんだ、とも思っていた。
けど、これでいいんだ。
本を読むのが好きな人にとって、部屋にあるすべての本は等価で、
その先には、本があること自体に価値がある、ということになる。
そして今日もまた、本を買う。
『街場のメディア論』内田樹 光文社新書 2010年