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何用あって月世界へ

朝5時にジョギングしてたら、まんまるお月さまがまだでていた。
まるで夜が月を置き忘れして朝と交代したみたいに。

丸い月をみてて、山本夏彦の「何用(なによう)あって月世界へ」を思い出した。
コラムニストの山本夏彦(1915-2002)は、辛口かつ鋭い世相批評で人気があった。
週刊誌や月刊誌で活躍し、
世の中の出来事を風刺的に語ることで知られていた。

山本夏彦のコラムは一貫して今(20世紀後半だけど)の社会への批判や皮肉たっぷりで、
文語的でリズミカルな独特な文体で、わたしはとても好きだった。

「何用あって月世界へ」は
彼のコラムタイトルのひとつ。
アメリカとロシアが競って弾道ミサイルをつくり、ロケットを打ち上げ、
宇宙でも縄張り争いをしそうになっていた。
そうした技術は多方面で平和的にも利用されていたが、
「そんなにまなじり決して進歩してどうするのよ」
といいたげな山本夏彦は、
「何用あって月世界へ」
と問うたあとに、
「月は眺めるものである」
と続けた。

高度成長期があり、バブル期があり、
そこから低迷期の「失われた30年」があり、
それでもまだ世の中は、
「より速く、より遠く、より生産性をあげて」
を掛け声にやっている。
グローバルな分業システムで生産し、
コストパフォーマンスとタイムパフォーマンスが大事で、
暑いといってエアコンをがんがんかけて、
排気熱でまた街を暑くしている。

それよりも、
「ゆっくり、そこらへんで、自分らしく」
月を眺めながら生きていくほうがいいかな、
とか朝ジョギングしながら思った。